スモーキングルーム第322回 千早茜「語り終えるべき時と人生の終わりは違う」
スモーキングルーム第322回 千早茜「語り終えるべき時と人生の終わりは違う」

語り終えるべき時と、人生の終わりは違う。老いた小説家は、自分が語りたいホテルの記憶はここまでだと告げた。どんなに名高い小説家であろうと、自分が息絶える瞬間は書き遺せないものだ、と。

瓦礫の山と最後の秘密

老いた男は瓦礫の山を見渡した。彩色の褪せた壁らしき石材、折り重なった罅だらけの円柱、手首のない女神像の上半身、土に還ろうとしている煤けた木材。森の空き地はもう薄暗くなり、瓦礫は黒々とした影に変わりつつあった。

贅沢で、華やかな舞台は、火事によって幕を閉じた、と老いた男は呟いた。どんな些細な異変も見逃さない煙が、なぜ火が大きくなるまで気付かなかったのかはわからない。ただ、俺たちは誰も死なせなかった。煙と一緒に従業員たちを指示して、混乱を起こすことなく、全員の客を無事に避難させた。大きな怪我をした者もいなかった。

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煙の行方

私は事務的と思えるほどによどみなく語る、老いた男の灰褐色の瞳を見つめた。目のまわりの皺が深くなり、疲労の色が見てとれた。崩れた支柱らしきものに座っていた私の尻は冷えきり、腰も痛かった。それでも、訊かずにはいられなかった。煙はどうしたのですか、と。

炎に包まれたホテルに飛び込んでいったのがあいつを見た最後だった、と老いた男は言った。砂糖っ子は追いかけていった。俺は従業員たちにがんじがらめにされて止められた。砂糖っ子は火の粉が舞う中、誰かがスモーキングルームへ入っていくのを見たそうだ。けれど、スモーキングルームの扉は開かなかった。

隠し通路と生存

玄関ホールのシャンデリアが落ち、弾け飛ぶガラスで傷を負った砂糖っ子は逃げ場をなくして地下へ走った。砂糖っ子は子供の頃に煙に言われたことを覚えていた。煙の部屋へ逃げ込み、戸棚を開け、中の板を外した。隠し通路を使って、暗闇の中を何時間も手探りで進み、生き延びた。鍵をかけない地下の部屋があの子を救ったんだ。

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