アニメーション映画『我々は宇宙人』(9月25日公開)は、既存のアニメーションスタジオに発注せず、映画レーベル「NOTHING NEW」の内部に新たなスタジオを設立し、アニメーターなどを採用するところから始まった異例のプロジェクトだ。
本作は「第79回カンヌ国際映画祭」の監督週間でワールドプレミア上映され、「第50回アヌシー国際アニメーション映画祭」の長編コンペティション部門では、日本作品で唯一選出された。さらに、メルボルン国際映画祭、ニュージーランド国際映画祭、オタワ国際アニメーション映画祭など、海外映画祭への選出が相次いでいる。
29歳の新鋭・門脇康平が追求した独自の映像表現
本作の企画・脚本・監督を務めるのは、YOASOBI「優しい彗星」のミュージックビデオなどを手がける29歳のアニメーション作家・門脇康平。東京藝術大学で絵画を学び、舞台映像やCM、ミュージックビデオなど幅広い分野で活動してきた。
本作では、キャラクターに近い年齢の子役を起用し、実際の場面を想定したプレビズ(事前映像)を撮影。従来のアニメーションの枠にとらわれない映像表現を追求した。
長編アニメ制作経験ゼロからスタジオ設立へ
門脇監督は「作品の方向性が固まっていく中で、既存のスタジオに発注するのは難しいのではないかという話になりました。そのため、NOTHING NEWの中にアニメスタジオを設立し、アニメーターや作画スタッフを採用するところから自分たちで作ろうという決断に至りました」と振り返る。
下條友里プロデューサー(NOTHING NEW)も「はじめは、協力いただけるスタジオや背景美術会社がないか、一つずつドアノックをしていました」と当時を振り返る。しかし本作ならではの特殊な制作手法や、自分たちが目指す作品の濃度を実現するためには「自社内にスタジオを組成する方が結果として良いものができる」と考えるようになり、採用から制作までを自分たちで担うことを決めた。
しかし、チームには長編アニメーション映画を制作した経験がなかった。最初のアニメーターをどう探すのか、膨大なデータをどのように管理するのか、制作環境をどう整えるのか。必要な仕組みを一つずつ模索しながら、作品とスタジオを同時に立ち上げていくことになった。
4人から約20人へ「同じやり方では二度と作れない」
制作開始当初はオフィスを間借りし、新たなオフィスを契約した際は、広い部屋にメンバーが4人しかおらず、下條プロデューサーは「このままで本当に大丈夫なのかと、やや不安になりました」と当時の心境を語っている。それでも制作が進むにつれてスタッフは増え、終盤には約20人が毎日出入りする制作拠点へと成長した。
公開されたメイキング写真には、実際にアニメーターたちが制作に打ち込むスタジオの様子をはじめ、監督自ら編集・コンポジット作業を行う姿、背景美術制作のために各地でロケハンや資料撮影を重ねる様子、さらにはロトスコープ用の実写撮影現場など、本作ならではの制作風景が収められている。
完成した今、林健太郎プロデューサー(NOTHING NEW)は「長編アニメーション映画を一度も作ったことがなかったからこそ、取れた打ち手がたくさんあった」と振り返り、「スタジオを一から作ったこと、ツテのない状態からカンヌへ飛び込んだこと、制作手法そのものを模索したこと。知らないことだらけだったからこそ、たくさんの方に出会い、助けていただく中で出来上がった作品でもあります。だからこそ、同じやり方ではもう二度と作れない気がしています」と語っている。
門脇監督も「本当の意味で長編アニメーション映画を立ち上げから完成まで全て経験するということは、後にも先にもこれが最初で最後だったんだろうなと思うと、本当に貴重な経験ができたと思っています」とコメント。経験も制作拠点もない状態から、作品を作る場所そのものまで築いた挑戦が、一本の長編アニメーションとして結実した。
30年にわたる友情物語
舞台は平成のある田舎町。内気で“普通”であることに悩む少年・翼は、小学3年生の春、クラスの人気者で“特別”な存在だった暁太郎と出会い、親友になる。二人だけの遊びや意味のない会話、夕暮れの帰り道。世界は確かに、彼ら二人のものだった。
しかし、ある日を境に暁太郎はクラスで浮いた存在となり、噂や周囲の視線にさらされていく。そして、やがて取り返しのつかない事件が起こる。「もしもさ、俺が宇宙人だったらどうする?」――二人が過ごした日々は青春の記憶なのか、それとも消し去りたい過去なのか。30年にわたる友情を描く。



