戦後81年目の夏、各地で戦争犠牲者への慰霊行事が行われた。日本の総人口に占める戦後生まれの割合は約9割となり、メディアは「戦争体験者がいなくなる」と嘆くが、その「体験者の声」をどこまで届けてきたのか疑問が残る。
長崎市の台湾代表団「排除」と平和祈念式典
今月9日、長崎市で営まれた平和祈念式典で鈴木史朗市長は、平成22年に73歳で亡くなった「語り部」の男性の被爆体験を引用し、「核兵器は必要悪ではなく絶対悪、人類と核兵器は決して共存できない」と訴えた。核兵器のない世界は理想であり、争いのない世界が来るに越したことはないが、純粋に平和を祈るこの場さえ、長崎市は台湾代表団を「排除」した。
広島市の式典では各国大使と同列の席が準備されたが、長崎では国際機関と同じ扱いだった。どこの国に気を使ったのかは不明だが、「世界平和の実現」がそう簡単で単純なものでないことは市長自身が一番わかっているはずだ。
メディアの「結論ありき」の終戦報道
「戦争体験者の声を聞け」と繰り返すメディアも似ている。「聞く」ことはもちろん大事だが、同じ歴史を繰り返さないための結論はいつも同じで、「戦争は二度と繰り返してはいけません」とオウム返しをするだけだ。戦争体験者のほとんどが鬼籍に入った今、メディアに登場するのは終戦当時に相当小さな子供だった人たちであり、「怖かった」「二度と戦争は嫌だ」と振り返るのは当然だろう。幼少期の体験を語ることに意味がないとは言わないが、「結論ありき」の終戦報道に利用されていると言ったら言い過ぎだろうか。
戦前・戦中生まれと戦後生まれの逆転とメディアの偏向
戦前・戦中生まれと戦後生まれの割合が逆転したのは、戦後30年が過ぎた昭和50年代前半とされる。日本人の半数近くが戦争体験者であり、「戦場体験者」も多かった。20代で終戦を迎えた人がまだ50代という時代だったが、当時から一部のメディアは「特定の人たち」の声ばかりを聞いてきた。ロシアや中国に抑圧される人々の声には耳を貸さないメディアの姿勢は、同じ過ちを繰り返す危険性をはらんでいる。



