「小錦旋風」で時の人となった小錦八十吉さんは順調に番付を上げ、三役にも昇進。次に目指すは大関の座だった。1986年初場所は小結で10勝、春場所は12勝を挙げ、夏場所は大関昇進を懸ける場所となった。
プレッシャーと精神面の葛藤
しかし、プレッシャーがあったのか、7日目までに3勝4敗と厳しい成績に。5日目に北天佑関に敗れて3敗目を喫した際は、部屋に戻ると自暴自棄になり、テレビを持ち上げて窓から外へ放り投げたこともあったという。精神的に参っていた状態で相撲を取っても、いい成績は残せなかった。
北尾戦と天覧相撲
昭和天皇が観戦されて天覧相撲となった8日目、相手は大関北尾関だった。同じ昭和38年生まれの「花のサンパチ組」で、負けたくない相手だった。この取組は微妙な判定に泣き、取り直しとなった。
北尾のその後の歩み
北尾は2メートル近い長身と懐の深さを生かした取り口で将来を嘱望され、幕内優勝未経験ながら86年名古屋場所後に第60代横綱へ昇進。双葉山、羽黒山の2人の名横綱にちなみ「双羽黒」と改名した。しかし、87年の年末に師匠とトラブルを起こし、そのまま廃業。この騒動を機に横綱昇進の基準が厳しくなるなど、その影響は長引いた。2019年に55歳で死去した。



