評論家・著述家の真鍋厚氏は、高市首相の「寝てない自慢」とも言える投稿がSNSで炎上した現象を分析。国民が政治家に「社会の危機」との対峙を求めている時に、国のトップが「自分のインナーの確保」という次元の危機をドラマチックに語ったことが、逆効果を招いたと指摘する。
「危機感の共有」の破壊と反感
真鍋氏によれば、この投稿はモフィットのいう「危機感の共有」を破壊し、「国民の苦しみから遊離した自己満足的な語り」として強い反感を買う結果となった。国民は「自分と同じように泥臭く家事をやるリーダー」ではなく、「自分たちの生活を改善してくれる仕組みを、圧倒的な能力(テクノロジーと決断)で実装してくれるリーダー」を必要としているという。
「手作業」描写が生んだ逆効果
「手作業でほつれをまつり縫いする」という細かい描写は、古き良き昭和的文脈では「つつましさ」として評価されたかもしれないが、合理性と効率を重視する現代においては、「首相という最も貴重な人的リソースを、外注や委任が可能な作業に浪費している(業務ボトルネックの発生)」と認識されたと真鍋氏は分析する。
「解決能力」なき「人間味」の提示は無能さのアピール
真鍋氏は、この炎上は「ポピュリズムのスタイル(「告白の真正性」による庶民派演出)」が、現代政治が要求する「テクノクラシー的スタイル(圧倒的な成果による支持確保)」と正面衝突して自爆した現象だと指摘。国民の負託に応える既存のシステムへの戦いが存在しない中での「私はあなたたちと同じように泥臭く苦労しています」というアピールは、「エモい政治」の材料にすらならず、「そんなことをしていないで、さっさとシステムを動かして我々の生活苦を解決しろ」という国民の冷徹な自己防衛本能によって一掃されたと述べる。
テクノ・ポピュリズムの深刻なリスク
これは与野党に関係なく、テクノ・ポピュリズム的なコミュニケーション全体につきまとう深刻なリスクである。「解決能力」なき「人間味」の提示、「成果」なき「弱さ」の提示、「政治闘争」なき「無作法」の提示等が、総じてただの「エリートの自己憐憫」として処理されてしまうと真鍋氏は警鐘を鳴らす。国民生活が困窮すればするほど、この「テクノ・ポピュリズム」的な要素はますます排除できなくなるだろうとし、この微妙な「綱渡り」が現代政治の重要な要素になっていることに注意を促している。



