岩澤侑生子が語る台湾演劇の熱量と日本の植民地時代の痕跡
岩澤侑生子が語る台湾演劇の熱量と日本の植民地

テレビの中に入りたかった子ども時代から始まり、新国立劇場演劇研修所を経て俳優として活動してきた岩澤侑生子さん。彼女が台湾へ向かったきっかけは、台湾をよく知っていたからではなかった。むしろ最初は、「台湾という島があるらしい」程度の知識しかなかったという。それでも台湾で暮らすうち、日本ではほとんど意識することのなかった日本の植民地時代の痕跡が、街角や建物、言葉、人との出会いのなかから立ち上がってきた。「台湾にいると、どうしても日本のことを考えさせられてしまいます」。昨年、文化庁の新進芸術家海外研修制度演劇分野研修員として台湾に滞在し、台湾現代演劇の現場を歩き続けてきた岩澤さんに、俳優としての原点、台湾との出会い、そして台湾演劇の魅力について聞いた。

子役から舞台へ:俳優としての原点

岩澤さんの実家は鋳造業で、お寺の鐘や仏像などを造っていた。家の周りには工場があり、職人さんたちが働いているなかで育った。朝起きると、鐘の音を調整するために「カンカンカン」と金属を叩く音が聞こえてくる環境だった。一番幼い頃の記憶が、母にNHKへ電話してもらっている場面だ。同じ年頃の子どもたちと接する機会が少なかったからか、NHKの『おかあさんといっしょ』が大好きだった。画面の中では、自分と同じくらいの子どもたちが集まって楽しそうにしている。それを見て、「私もあの中に入りたいから、NHKに電話して」と母に頼んだという。母が本当に電話してくれたが、年齢制限があって出られないと言われた。それがとてもショックだったが、やはりテレビの中に入りたいという気持ちは強く残った。

その後、東映京都撮影所の養成所に通うことになった。最初の仕事は6~7歳くらいだったと思う。テレビの時代劇で、花魁の横に座っている禿(かむろ)の役で、それから少しずつ子役としてのキャリアを積んだ。大学は京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の演劇系の学科で、映像は林海象監督、舞台は太田省吾先生に学んだ。林監督は映像の恩師であり、太田先生は日本演劇界の巨匠で、今、演劇でやりたいと思っていることの多くは太田先生の作品から学んだものだ。ただ、大学時代には台湾のことをほとんど知らなかった。台湾人の同級生もいたが、日本語がとても自然だったので、外国から来ている人だという意識もあまりなかった。

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反論できなかった悔しさからアジアへ

大学卒業後、新国立劇場演劇研修所を経て、東京で俳優として活動した。プロダクションに所属していたが、すぐに仕事があるわけではなく、アルバイトをしながらオーディションを受ける日々だった。その頃、アルバイト先で非常に排外主義的な考えをもつ人に出会った。休憩時間になると、YouTubeを見ながら中国人や韓国人に対する差別的な発言をする。その時に強い危機感を覚えた。こういう人たちがこれから増えていくのではないか、と。反論しようとしたが、自分には歴史的な知識や素地が足りず、うまく言い返せなかった。そのことがとても悔しかった。新国立劇場の研修所では戦争に関する演劇にも取り組んでいた。俳優として戦争を扱う芝居をしているのに、自分は知らないことがたくさんあるのではないかと感じた。

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30代でキャリアについて考え始めた時、海外で学びたいという思いが強まった。そこで応募したのが文化庁の新進芸術家海外研修制度だった。合格し、研修先として台湾を選んだ。台湾を選んだ理由は、日本語が通じる部分もあること、そしてアジアの中でも日本と深い関わりがある国だからだ。実際に台湾に来てみると、街のいたるところに日本統治時代の建物が残っており、日本語の看板も多い。台湾の人々は日本に対して親しみをもって接してくれるが、同時に植民地支配の歴史を忘れていないことも感じた。

台湾現代演劇の熱量

台湾現代演劇は今、とても熱い。特に、政治や歴史、アイデンティティをテーマにした作品が多い。例えば、日本統治時代を扱った作品や、中国との関係性を問う作品などがある。台湾の劇作家たちは、自国の歴史と向き合い、それを舞台に乗せることに積極的だ。岩澤さんは、台湾の演劇現場に身を置くことで、日本ではあまり語られない植民地支配の実態や、台湾人の複雑なアイデンティティに触れる機会が増えたという。「台湾の演劇人は、自分たちの歴史を直視し、それを表現することに恐れがない。その姿勢に刺激を受けた」と語る。

また、日台合作の可能性についても言及した。日本語で書かれた台湾演劇を台湾の俳優と読む試みなど、言語の壁を越えたコラボレーションが進んでいる。しかし、歴史への視線を共有することが重要だと指摘する。「日本と台湾の間には、植民地支配という重い歴史がある。それを無視して合作を進めることはできない。お互いの歴史認識をすり合わせ、対話を重ねることが必要だ」と述べた。

台湾で見つけた新たな視点

岩澤さんは、台湾での経験を通じて、日本という国を外から見る視点を得たという。「台湾にいると、日本のことを考え続けさせられる。日本の植民地だったという事実を、現地で実感することで、日本に対する見方が変わった。例えば、台湾の教科書には日本統治時代のことが詳しく書かれている。一方、日本の教科書ではほとんど触れられていない。このギャップに気づかされた」と話す。

今後は、台湾で得た経験を日本での活動に生かしていきたいと考えている。特に、台湾の演劇作品を日本に紹介したり、日台合同の公演を企画したりしたいという。また、俳優としてだけでなく、プロデューサーやディレクターとしても活動の幅を広げたいと意欲を見せる。

岩澤さんの台湾での研修は、単なる海外経験にとどまらず、自身のルーツや日本の歴史と向き合う貴重な機会となった。彼女の今後の活躍から目が離せない。