秀吉の中国大返しを可能にした影のMVP武将とは?備中高松城の水攻め考案者に注目
秀吉の中国大返しを可能にした影のMVP武将とは?

2026年7月にプレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3のうち、大河ドラマ部門第3位は「だから秀吉軍は柴田勝家より先に京都に戻れた…NHK大河ではチョイ役でも秀吉の天下獲りにおける『影のMVP武将』」です。歴史評論家の香原斗志さんが、備中高松城の戦いにあった秀吉がなぜ即座に京へ向かえたのかを解説します。

中国大返しの裏にあった秘密交渉

織田信長から備中(岡山県西部)攻略を命じられた羽柴秀吉は、毛利方の領土との境界にある備中高松城(岡山市北区)を攻めていました。湿地に囲まれた城を落とすため、秀吉が選んだ作戦は水攻め。周囲に堤防を築き、川の水を引き込んで城を水没させる策です。梅雨時だったため、城はたちまち湖上に浮いたような状況になり、秀吉は勝利を確信しました。

しかし、天正10年(1582)6月2日早朝、京都の本能寺に宿泊していた信長が明智光秀の軍勢に囲まれ、自害しました。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第28回「急げ!秀吉」(7月19日放送)では、翌日、秀吉のもとに急報が届き、秀吉は信長の死を受け入れず、毛利方との和議を急ぎ、全軍に「これより上様をお救いするために京へ向かう。ただひたすらに走って、走って、走り続けよ!」と命じます。

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地味だが重要な役割を果たした武将

秀吉が信長の訃報を信じなかったのはフィクションですが、急遽和議を結び、京都へ出発したのは事実です。城主の清水宗治を切腹させ、城は落城させています。なぜタイミングよく和議を結べたのか。香原さんは「中国大返しのウラには、いつでも敵の毛利軍と和議が結べる段階まで秘密裏に交渉を進めていた武将の功績がある」と指摘します。その武将とは、実は「高松城水攻め」の考案者であり、本能寺の変までにほぼ交渉を終えていた人物です。

この武将の働きがなければ、秀吉軍は柴田勝家に先を越されていた可能性があります。記事では、その武将の功績と、明治維新まで阿波を統治した経緯も紹介されています。

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