「ペッパー警部」作曲の都倉俊一氏に文化勲章「心から感謝」と会見
「ペッパー警部」都倉俊一氏に文化勲章、感謝語る

「ペッパー警部」「UFO」などのヒット曲を手がけた作曲家の都倉俊一さんが10月23日、文化勲章の受章を受けて、東京都内で記者会見を開いた。

「心から感謝」と語る

都倉さんは受章について「多くの素晴らしい言葉を頂いた作詞家の皆さん、そして一緒に音楽を作っていった音楽制作者の皆さん、そして何よりも私たちの歌を世につないでくださった多くの歌手のアーティストの皆さん、この場をお借りして本当に心から感謝の言葉を申し上げたい」と語った。

戦後の日本のポピュラー音楽は、欧米の強い影響の下、発展していった。中村八大、浜口庫之助、筒美京平、三木たかし……。都倉さんは、そんな大衆音楽史を語る上で欠かすことのできないヒットメーカーたちの名前を次々と挙げ、こう述べた。

「米国のスイングジャズやロックンロールの影響を受け、今日のJポップにつながるポピュラー音楽が確立していった。そのスタートに多くの先達の方たちの活躍やグループがある。その方たちを代表して私がこの栄誉をいただいた」

音楽を「体で感じる」ものに

東京都出身。幼少期からバイオリンを始め、外交官だった父の赴任に伴い、小学校と高校時代を過ごしたドイツで音楽教育の基礎を学んだ。大学在学中に作曲家として活動を始め、1970年代にヒットメーカーとして頭角を現す。

ピンク・レディーの「ペッパー警部」「UFO」「渚のシンドバッド」、山本リンダの「どうにもとまらない」「狙いうち」、フィンガー5の「個人授業」……。作詞家・阿久悠とのコンビを中心にヒット曲を生み出し、テレビというメディアを媒介にお茶の間をにぎわせた。

自身の手がけた曲は日本のポピュラー音楽史に何をもたらしたのか。その点についてはこう語った。

「山本リンダやピンク・レディーの時代、音楽をただ『聴く』だけではなく、『体で感じる』『体を動かして接する』ものにした。そういうサウンドを作った」

今後のライフワーク

2021年から26年まで文化庁長官を務め、25年に始まった国内最大級の音楽賞「MUSIC AWARDS JAPAN」の創設にも尽力した。作曲活動だけでなく、日本の文化の発展にも力を注いできた。

やり残したことは「山ほどある」とし、こう続けた。

「今回の受章を新たなスタートに、日本の優れた文化芸術を世界に羽ばたかせる土壌をつくっていきたい。それが私のライフワークだと思っています」