ベイ・シティ・ローラーズのウッディ、栄光と確執を語る「人生の大きな誇り」
BCRウッディ、栄光と確執語る「人生の大きな誇り」

1970年代に世界中で「タータンチェック」旋風を巻き起こした英スコットランド出身のロックバンド「ベイ・シティ・ローラーズ」(BCR)。そのギタリスト、スチュアート・ウッディ・ウッド(69)の半生をたどるドキュメンタリー映画「ベイ・シティ・ローラーズ ウッディ・ウッドが語る真実」が25日から公開される。オンライン取材に応じたウッディが、メンバー間の愛憎も赤裸々にBCR愛を語った。

「タータン旋風」で世界席巻

BCRが「朝まで踊ろう」でレコードデビューしたのは71年。「サタデー・ナイト」で全米1位、「バイ・バイ・ベイビー」で全英1位を獲得するなど、70年代に世界を席巻したアイドル・ロックバンドだった。タータンチェックの衣装をまとった若者たちに世界中の少女が熱狂し、その現象は「ローラーマニア」と呼ばれた。日本でも「タータンハリケーン」として社会現象になり、76(昭和51)年の初来日では東京・日本武道館を沸かせている。

ウッディは電子技師の見習いだった74年、17歳でバンドに加わった。だが絶頂期は長く続かなかった。バンドは78年ごろから崩れ始め、契約や印税をめぐるトラブルにも見舞われた。映画は、ウッディの半生が軸だが、バンドの栄光と混乱についても本人のインタビューと未公開映像でたどる。ウッディが立ち上げたレーベルが製作。実は2007年の映画で、19年をへて、ようやく日本で日の目を見るのだ。

「大変、うれしく思っています。日本公開が決まって、日本の皆さんのローラーズへの熱い思いを思い出しました」オンライン取材で、ウッディは、開口一番そう語った。

確執、2つのBCR

BCRは、78年にリードボーカルのレスリー・マッコーエンが脱退。後任にダンカン・フォールを迎え、「ザ・ローラーズ」と改名し、大人向けロックへ路線変更するが、崩壊していく。崩壊後のBCRは複雑な道をたどる。82年~83年に再結成し、日本を含むワールドツアーを敢行したが結局、分裂。映画の中でウッディはこの再結成は、「生活のためだった」と苦々しく振り返る。

その後、南アへ移住しバンドを結成、90年にスコットランドに戻るとケルト音楽の作品づくりに没頭した。ところが、レスリーが「レスリー・マッコーエンズ・ベイ・シティ・ローラーズ」を結成。追いかけるようにウッディは元メンバーのイアン・ミッチェルらを迎えてBCRを再始動させ、一時はウッディとレスリーのBCRが並び立つ異例の状態が続いた。2015年にはアラン・ロングミュアーも加えた黄金期の3人が合流し、BCRとして活動を再開。一度は和解にこぎ着けたが、まもなく再び決別した。

「レスリーとは仲が良かった時期もあれば、悪かった時期もあります。本人が亡くなり反論もできませんから、私から何かいうことは控えます。ただ、非常に優秀なシンガーだったことは確かです」

偏見を超え、今も現役

ウッディの半生はこの映画の完成後も波乱続きだったが、若いメンバーを迎えて、いまもBCRの活動を続けている。つまり今もBCRのウッディなのだ。客席には、還暦を過ぎた往年のファンが子や孫を連れて訪れ、3世代がタータンチェックをまとって一緒に歌うという。「音楽が世代を超えてよみがえっていくようで、本当に楽しい」

BCRについては、「アイドルバンド」という偏見が根強く、正当に評価されていないという恨みもある。ケルト音楽に取り組んでいた頃は、ウッディというおなじみの愛称は使用を控えた。だが、今はBCRを誇りに思っている。「確かに演奏は完璧ではなかった」。コンサートでは実際には演奏をしていないのではないかと冷やかされたこともあったが、「よく聴けばあらが分かって、私たちが演奏しているって納得してもらえるでしょう」と笑う。「それでも、BCRの音楽が悪かったとは思わない。BCRの楽曲は、今も世界中で聴かれているのだから」

来年2月には古希を迎えるが、半世紀を超えてなお、ローラーズとともにある旅は続く。「いろいろ問題があったり、内部分裂があったり、メンバーともめたり、裁判があったりして、良くなかった時期もあったが、私にとってBCRは、人生の非常に大きな一部分なんです」