今年は閏三月があったため、初物の季節感はすでに薄れている。しかし、鰹の旨さはむしろ今の時期が最適ともいえる。江戸に着いたばかりの倫太郎は、鰹を買う役目を担うことになり、色めき立った。だが、その前に雄馬に訊ねなければならないことがある。
三井越後屋への関心
「そうか。それでな、その駿河町の大店だが」と倫太郎が言うと、雄馬は「ああ、三井越後屋のことか?呉服商だ」と答える。三井越後屋という名はどこかで聞いたことがある。つい最近のことだ。すると倫太郎の脳裏に、妹の清乃の顔が浮かんできた。別れ際に「越後屋で反物を」と言っていたのだ。ついでに母の時枝もそう言っていた。あの店が越後屋か、と倫太郎は思う。あの大店の反物とは、と疑問が湧く。
時蔵との会話
倫太郎はわずかに首を後ろに回し、小声で時蔵に尋ねる。「時蔵さん。越後屋というのは他にあるかな」。時蔵は「はい。お店の名は主人の在所であることが多いので、米問屋や酒問屋などにもあります」と答える。さらに「反物だとどうだ?」と問うと、時蔵は「もちろん、越後には優れた織物があります。しかし、三井越後屋は各地の反物を取り揃えており、流行り物と言えば若い娘さん方は駿河町に足を運びます。憧れのお店です」と説明する。倫太郎は「そ、そうだな。さもあろう」とぎこちなく頷いた。



