キャリア・教育の分野で注目を集める朝ドラ『風、薫る』。その主人公・りんのモデルとなったのが、実在の女性活動家・大関和である。彼女が参加した「廃娼運動」の背景には、明治政府による衝撃的な布告があった。
「芸娼妓解放令」のきっかけはマリア・ルス号事件
明治5(1872)年、明治政府が「芸娼妓解放令」を出す直接のきっかけとなったのは、同年に起きた「マリア・ルス号事件」である。横浜港に寄港したペルー船が、清国人苦力(クーリー)を奴隷として酷使していたとして、日本側がこれを裁いた。すると、ペルー側は反論した。「日本だって遊女を人身売買しているではないか」と。
国際社会からの批判を受けた明治政府は、慌てて前借金を無効とし、遊女たちを「解放」すると宣言した。これが「太政官布告第295号」、通称「芸娼妓解放令」である。布告にはこう記されている。
「人身を売買するは古来の制禁の処、年季奉公等、種々の名目を以て其実売買同様の所業に至るに付、娼妓・芸妓等雇入の資本金は贓金と看做す」
人身売買は禁止されており、娼妓・芸妓を雇い入れる資本金は「贓金」、つまり不正な手段で得た金とみなすとしながら、次のように続く。
「同上の娼妓・芸妓は人身の権利を失うものにて、牛馬に異ならず。人より牛馬に物の弁済を求むるの理なし。故に従来同上の娼妓・芸妓へ借す所の金銀並びに売掛滞金等は一切債(せめ)るべからざる事」
つまり、娼妓・芸妓への借金はなかったことにするが、その理由が驚くべきものだった。「娼妓・芸妓のように身を売る女性はすでに人権を失っているのだから、牛や馬と変わらない」というのである。その上で、「牛や馬に物の弁済を求めるのはおかしいから、借金を返す必要もない」と、信じがたい理論が展開された。
女たちの暮らしは変わらなかった
しかし、この「解放令」によって女性たちの生活が改善されたわけではなかった。多くの遊女たちは依然として借金に縛られ、自由を得られないままであった。大関和はこうした現実を目の当たりにし、廃娼運動に身を投じたのである。彼女の活動は、女性の人権を真に確立するための闘いの一端だった。



