300年以上の歴史を持ち、世界最高峰のスパークリングワインとして親しまれてきたシャンパン。その世界ではいま、大手メゾン中心の時代から、土地や造り手の個性を映す小規模生産者へと価値観が変化している。書籍『世界を歩いたワインインポーターが語る 変貌するシャンパンの世界―教養として知るシャンパン革命―』(石田大八朗/ジェイコード)では、長年シャンパーニュの現場を見てきたワインインポーターの視点から、その歴史や近年の潮流、知っておきたいトリビアや楽しみ方までを解説する。本稿では、その一部を抜粋して紹介する。
かつてシャンパンの「泡」は「欠陥」とみなされていた
シャンパーニュ地方のはじまりを知るには、時代を遡り、古い資料をひも解かないといけません。中世の頃より、ヨーロッパではワイン造りの中心となったのは修道院でした。その理由は、ワインは単なる嗜好品ではなく、ミサで使う宗教的飲料でもあったからです。同時に、貴族への献上品という役割もあり、修道院の重要な資金源でもありました。
シャンパーニュ地方においても、ランスの大司教及び多くの修道院が広大な畑を所有し、ワイン造りまで手掛けていました。修道院は、宗教施設というより、農業研究所、醸造技術センター、大地主を合わせたような存在だったのかもしれません。
泡が瓶を爆発させる厄介者だった時代
17世紀の後半頃、ワインの製造過程でできる「泡」は「欠陥」とみなされていました。当時はスティルワインの製造を行っていたシャンパーニュ地方は、今よりも寒冷地であったため、秋に発酵が途中で止まり、春に暖かくなると再び発酵が始まります。すると瓶の中で炭酸ガスが発生します。この泡が原因で、瓶が爆発するだけでなく、味が不安定になる、濁る、品質管理ができないなどの問題を抱えていました。つまり、シャンパンの象徴である「泡」は、厄介者だったわけです。
しかし、徐々にイギリスを中心にその泡を面白がる貴族層が現れ始め、強いガラス瓶やコルク栓の開発と相まってシャンパンがスパークリングワインとしての個性を確立していくのです。その過程の中で登場するのがあのドン・ペリニヨン(1638年~1715年)です。エペルネ近郊のオーヴィレール修道院の修道士であった彼は、現代においてモエ・エ・シャンドン社の最高級シャンパンとして知らない人がいないほどの知名度がありますよね。彼が泡入りのシャンパン作りを確立したという説もありますが、どちらかというと後の発泡性シャンパンを可能にする高品質な原酒造りの基礎を築いたとされています。
「欠陥」が最大の個性へと変わった転換期
18世紀後半~19世紀になると、澱抜き(デゴルジュマン)、糖分調整(ドサージュ)、強化瓶による二次発酵の管理などが進歩し、“欠陥”だった泡は、シャンパン最大の個性になっていきます。制御不能だった泡を、後世の技術と市場が、価値へと変えたのです。
シャンパーニュは300年以上にわたり世界最高峰のスパークリングワインとして親しまれてきました。一方で近年、大きな価値観の変化が起きています。かつて主流だった大手メゾン中心の時代から、畑や土地、造り手の哲学を映し出す小規模生産者「アルチザン・シャンパーニュ」へ──。世界中のワインラバーやトップソムリエたちの注目は、ブランドではなく、生産者の思想やテロワールへと移りつつあります。本書では、長年にわたり世界各地の生産者を訪問してきたワインインポーターの視点から、シャンパーニュの歴史だけでなく、業界を揺るがす大転換期の内幕を解説しています。