「おかでらさん」の愛称で親しまれる岡寺山継松寺の門前に、和食料理店「憩酒屋(いざかや)よりみち」(三重県松阪市本町)を開いて2年余り。元々は三重と縁もゆかりもなかった夫婦が、しっかりと根を下ろした。
妻の言葉が背中を押した
女将のあかりさんは大阪出身。2014年春、京都産業大学を卒業して大手住宅メーカーに就職した。配属面接で「ご飯とお酒がおいしいところならどこへでも行く」と答えて津市に赴任した。
その頃、交際していた大将の良太さんはうつ病を患い、長野の実家で療養中だった。地元の高校を卒業した後、京都で和食の修業中だったが、中堅の立場にありながら技量が追いつかず、「下の子にいいように使われた」。精神的に追い詰められ、1メートル83、86キロの体は59キロにやせた。13年頃のある朝、あかりさんの目の前で過呼吸に陥り、友人の強い勧めもあり「逃げるように長野に帰った」。当時、28歳だった。
離れ離れになったが、恋愛は続いた。営業の仕事も軌道に乗ったあかりさんが17年、「ご飯もおいしいし、人も優しい。三重においでよ」。断る理由はない良太さんが津に引っ越してきた。だが、仕事は生活をつなぐだけのアルバイトに終始する。料理人として再起してほしいと願ってきたあかりさんの目には「ぶらぶらした毎日」に映り、とうとうキレた。
再修業の日々と夫婦の絆
「ちゃんと料理の世界に戻らんのやったら、結婚せえへんで!」
言葉はきついが真心を感じた良太さん。その頃、2人は松阪市内で個性的な和食料理店を営む店主と知り合った。身の上話も聞いてくれ、「うちでやってみるか」と誘われた。一からやり直したいと頭を下げると店主は、「一も二も三もない。全部やってもらう」と本気で返してきた。「それができたら、店一軒を回すことぐらいどうってことないよ」とも励まされた。「とことんまでやってやる」と、折れた心に火がついた。
松阪市内にマンションを購入して生活拠点を構え、18年4月に結婚する。再修業にかけた歳月は、6年半。中途半端に終わった京都の時間を取り戻した。
松阪の店主は和食への固定観念がなかった。和に洋を取り込みつつ、中華も足した。世の中には様々な考え方、見方があることを料理を通して学んだ。やみくもに突き進んで挫折した自分の人生と重なり、人としても、料理人としても、幅ができたと実感する。
料理への情熱と新たな物語
料理は元来、父親の趣味に感化されて始めた。東北出身の父が長野の山野に分け入り、地元の人が知らない山菜やキノコを採っては紹介し、喜ばれた。自分もまねをした。「人を喜ばせる料理」の魅力にとりつかれたのが小学3年生の頃だった。挫折はあったが「料理人への思いがぶれることはなかった」という。
季節の節目には、少し長い休みを取り、夫婦で地方を旅して、道の駅や市場に足を向ける。いい食材を探し出しては地元の人に調理の仕方を教わる。その上で自分流にアレンジする。長野フェア、新潟フェア、秋田フェア……。メインカウンター7席の10人で満席という小さな店だが「感謝の思いを込め、松阪では食すことができない地方の料理を振る舞っている」。父親譲りの料理の奥深さだ。
大将自慢のカウンターは長野・木曽五木の一つ「ネズコ(鼠子)」の一枚板をしつらえた。木工店で掘り出した故郷の逸品だ。木目に手を置いた女将が、つぶやいた。「お客さまに優しい笑顔でさすってもらうと、木にぬくもりと味わいが出てきます」
岡寺山の門前は「職人町通り」――。2人でどんな物語を紡いでいくだろう。



