東映アニメ70周年、天才アニメーター月岡貞夫が振り返る歴史
東映アニメ70周年、月岡貞夫が振り返る歴史

東映アニメーションが創立70周年を迎え、東京・京橋の国立映画アーカイブで同社の過去作品を上映する企画「フィルムでみよう!東映アニメーション」が開催中だ。同社で「天才アニメーター」と呼ばれた月岡貞夫(87)は、最前線で活躍していた当時について「自由で、仕事が楽しかった。あんないい職場はないと思う」と振り返る。

70周年への思いと日本アニメの未来

東映アニメーションの70周年について、月岡は「うれしい。アメリカで言えば、ディズニーがずっと続いているのと同じでしょう。日米アニメ界にはそういう柱となる存在があるからこそ、産業として生き残っているんです」と破顔する。一方で、世界中で人気の日本アニメについて「この先を心配している。日本アニメを研究する米国に巻き返される兆候が出ている」と語る。

東映アニメの歴史と月岡の歩み

同社は1956年に「東映動画」として創立した日本最古のアニメスタジオだ。それまでは小規模製作による短編が主流だったが、大規模な人員を採用し、最新設備の整ったスタジオでの製作体制を敷いて、58年に初の国産長編カラーアニメ映画「白蛇伝」を完成させた。69年公開のヒット映画「長靴をはいた猫」をシンボルマークにし、その後も映画「銀河鉄道999」やテレビシリーズ「ドラゴンボール」「美少女戦士セーラームーン」「ワンピース」など世界的人気作を手がけてきた。

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月岡は新潟県の生まれで、実家は建築関係だったが、兼業で町で唯一の映画館を営業していた。「洋画もあったけど、僕はアニメばかり見て、その絵を描いていました」。手塚治虫(1928~89年)の漫画が好きで、幼い頃から模写を続け、絵の技術を磨いた。

小学4年頃にファンレターを送ったのを機に、手塚と年賀状のやりとりが始まった。高校2年の時、アシスタント依頼の封書が届き、上京。当初から表紙絵などの色をムラなくきれいに塗れたため、色塗りは他人にさせなかった手塚に「色は月岡君に任せる」と言わしめたという。

手塚作品から東映へ、そして名作の数々

手塚作品が原作の長編「西遊記」(60年)製作時、多忙な手塚の代わりに東映へ派遣された。精密な絵や色遣いなどで「天才アニメーター」と呼ばれた。「師匠なんていなかったけど、映画館の息子だったから、作品を見て覚えました」。そのまま東映に入社し、24歳の時に放送された東映初のテレビアニメ「狼少年ケン」(63年)では演出やキャラクター設計などを務めた。

東映作品の中では「白蛇伝」が好きだという。白ヘビの化身・白娘(パイニャン)の動きについて、「キャラクターの演技であれだけの色気はなかなか出せない」と評価する。

今回の上映企画

今回の企画では、22日に漫画家の松本零士が企画した「宇宙海賊キャプテンハーロック」シリーズ、9月1日に高畑勲が監督・演出、宮崎駿が場面設計・原画を担った「太陽の王子 ホルスの大冒険」など、名作が次々と上映される。問い合わせは、050・5541・8600。

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