真言宗の開祖、弘法大師・空海(774~835)の生誕1250年を記念する特別展「空海と真言の名宝」が東京・上野公園の東京国立博物館で始まった。真言宗の主要16派に伝わる国宝15件、重要文化財60件を含む88件(会期中展示替えあり)の寺宝が集結した。
真言宗は宗派が50近くあり、それぞれ美術とのつながりが深い。そのうち十八本山と関係寺院が競うようにえりすぐりの至宝を出展している。特別公開される和歌山・高野山金剛峯寺の本坊持仏間本尊「弘法大師坐像」をはじめ、それぞれの寺に足を運んでも厨子や帳の奥にあって拝観できない「秘仏」をじかに拝むことができる。
宮中秘儀の本尊も間近で鑑賞
かつて宮中で行われた天皇の身体健全を祈る儀式「後七日御修法」は秘儀中の秘儀とされ、真言宗の僧侶でも十八本山に所属していないと出仕できない。今は毎年1月8日から14日まで、京都の教王護国寺(東寺)で行われるこの儀式の本尊である「聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像(二間観音)」(重要文化財)も間近で鑑賞できる。
展示の最後には、京都・安祥寺の国宝「五智如来坐像」が鎮座している。真言密教の本尊である大日如来像を中心にした五つの如来像は初期密教彫刻の傑作だ。京都以外で鑑賞できる機会はめったにない。
空海と真言密教の足跡
秘仏の弘法大師像が右手に持っているのは、「金剛杵」と呼ばれる法具だ。インドの神話上の武器が起源で、両端の刃で煩悩を打ち砕くとされ、真言密教では加持や祈祷に用いられる。高野山金剛峰寺は創建に関わる特別な伝承がある「飛行三鈷杵」を所蔵している。
空海は延暦23年(804年)に遣唐使船に乗って唐にわたり、翌年に都の長安で恵果和尚から真言密教の奥義を得た。帰国の船に乗る寸前、空海は唐の明州の浜辺で「私は諸天の威光と蒼生の福を増すために日本に寺院を建てる。どうか日本に届け」と念じ、三鈷杵を投げたという。三鈷杵は五色の雲に乗り海を越えて日本に飛行し、高野山の松の枝に止まった。帰国した後に空海が三鈷杵の行方を探していたところ、ひとりの猟師が「三鈷杵があるところを知っている」と声をかけ、2匹の犬に松の木まで案内させた。猟師は狩場明神という高野山の鎮守神だったという。金剛峰寺はこの「三鈷の松」を中心に造営された。
当時、唐では真言密教が流行し、日本の朝廷も導入を望んでいた。だが、空海はその伝道者として期待されていたわけではなかった。空海が乗り込んだ遣唐使船は、すでに日本仏教の第一人者となっていた伝教大師・最澄の派遣を主眼とし、無名の若手僧だった空海は便乗する形で唐に渡っている。最澄は乗ってきた船で帰国することが決まっていたが、真言密教を会得するには長期間かかるとされ、空海の帰国予定は20年後。密教導入の即戦力とはみなされていなかった。
ところが空海は驚異的なスピードで真言密教を会得し、恵果から「灌頂」、すなわち免許皆伝の儀式を受ける。わずか2年で帰国した空海は、朝廷から入京を許されず、大宰府に留めおかれた。この間に空海は、持ち帰った経典や曼荼羅、法具を整理し、その一覧を『御請来目録』として朝廷に提出している。その中には、恵果から「早く日本に帰って真言密教を国に奉呈し、蒼生の福を増しなさい。そのことが御仏の恩に報いることだ」と言われている、との記述もある。
嵯峨天皇の評価と国家鎮護
空海は宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)で地方官僚だった佐伯田公と、阿刀氏の血を引く玉依御前の次男として生まれた。幼名は真魚。両親は真魚を中央政府の官僚にしようと、15歳で平城京に出し、母方の伯父で学者の阿刀大足に儒教や漢籍を学ばせた。18歳で大学に入った真魚は明経科に入る。だが、1年ほどで大学をやめ、仏道修行を始める。
帰国後の大同2年(807年)には、桓武天皇の第3皇子とされる伊予親王が、異母兄の平城天皇に対する謀反を疑われて自害する事件が起きている。謀反は冤罪で、伊予親王は藤原氏の権力争いに巻き込まれたとみられる。空海の叔父の阿刀大足は伊予親王の家庭教師を務めていたため、平城天皇は空海にも冷淡だったといわれている。空海の入京が許されるのは、平城天皇の弟の嵯峨天皇の即位後のことだ。嵯峨天皇は朝廷内の争いによる動揺を空海の密教の力で鎮めようとしたのだろう。
空海は嵯峨天皇から高野山を下賜されただけでなく、弘仁14年(823年)には京都の東寺も与えられている。高野山は修行の地、東寺は都を守護する国家鎮護の地として、真言密教発展の拠点となる。
朝廷が空海に最も期待したのは、真言密教による加持祈祷によって災いを祓うことだった。伊予親王の事件の後も朝廷内では政争が続き、天皇や上皇は、祟りによって健康を損ねることを恐れ、身の健全を祈る「玉体加持」を求めていた。空海は朝廷の要望に応じ、天皇の身体の健全のための加持祈祷(修法)を行う。時の天皇のもとで国家の安泰を修すること51回に及んだといわれる空海が、入定の直前に宮中に道場を設けて行ったのが「後七日御修法」だ。
真言密教の美術の豊かさ
真言密教は、顕教とは異なり、言葉や理論では伝えきれない心理や儀式を師からじかに伝授することで継承されていく。難解で複雑な教義が秘伝として伝えられるうち、多くの派に分かれていった。わかりにくい教義を伝えるには、図や実像を駆使することになる。宇宙の万物に宿る大日如来を本尊とする多くの宗派が、さまざまな表情の仏像や仏画を生み出したことが、真言密教の美術を多彩で豊かなものにした。
特別展「空海と真言の名宝」は東京国立博物館平成館で9月6日(日)まで。会期中、一部作品の展示替えを行う。休館日は月曜日(8月31日は開館)。開館時間は午前9時30分~午後5時(毎週金・土曜日、7月19日(日)は午後8時まで)。



