東洋学園大学教授で英語学者の大西泰斗さん(64)は、NHKの教育番組に長年出演し、ネイティブスピーカーの「生きた英語」を伝えてきた。しかし、明るいテレビの印象とは裏腹に、中学時代は卑屈な少年だったという。
自由な家庭と祖母の教え
大西さんは2、3歳の頃の写真を見せながら、「2人兄弟の次男で、能天気というか、のほほんとした子どもでした」と振り返る。父親は英語とドイツ語に堪能で海外で機械を売る営業マン、母親は地域貢献に熱心だった。勉強やスポーツを強制されることはなく、自由な家庭で育ったという。
生き方に影響を与えたのは母方の祖母だった。若い頃に夫を戦争で亡くし、3人の娘を一人で育てた祖母は、大西さんが泣いて帰ってくると「泣くな!歯を食いしばれ!!」と言い、「自分の置かれた状況に負けてはいけない、最後まであらがいなさい」と諭した。大西さんは「多分これって、祖母の人生そのものだったのだと思います」と語る。
小学生時代は自信に満ち、昆虫採集に熱中
小学生の頃は自分に自信があり、周りと衝突することも恐れなかった。「僕は基本的に『和』を大切にするタイプ。だけど、こうと決めたら曲げない性格でもありました」と話す。学級委員の時には、授業開始3分前の着席や給食当番の順番制などのルールを決めたが、クラスメートから「ふざけんじゃねえぞ」と反発されたという。
放課後は気の合う友だちと野原で昆虫採集に夢中だった。「イナゴの手づかみには相当な自信がありますよ」と笑い、捕まえた生き物の精緻な構造に感動し、真っ白なガのアルビノ(突然変異の個体)を見つけた時は「神様に出会ったような気分でした」と振り返る。
中学時代の劣等感と挫折
中学に入ると、身長が1.5メートル台で伸び悩み、劣等感にさいなまれた。「友人たちは成長期で10~20センチも背が伸びて、運動能力や学力も上がっていく。なのに僕はすごく背が低く、周りよりも発達がゆっくりだったんです」と語る。負けず嫌いだったため、自分を低く評価する卑屈な考え方になっていったという。
部活動は半ば強制的に、二つ上の兄が主将をしていたバレー部に入れられた。「どれだけ努力しても身にならない。だってネットから手が出ないんだから(笑)。めちゃくちゃ悔しかったですね」と振り返る。
高校受験も第1志望に不合格となり、「『負けた』という感覚はやっぱり強くて、挫折感も大きかった。人生で受けた試験で唯一の『黒星』がこれでした」と話す。振り返って「あの頃は僕にとって一番薄暗い時代だったなあ」と述べた。
「明けない夜はない」と伝えたい
大西さんは、同じような境遇の子がいたら「明けない夜はないんだ」と伝えたいと語った。次回は「リベンジ!」編と題して続く。



