大阪・十三で生まれた西田好子さん(当時68歳)は、貧しい家庭で育ち、母親の勧めで小学校教師になった。しかし、離婚を経験し、31歳で2人の幼い息子を連れて実家に戻った。キリスト教との関わりは、近くのキリスト教会が運営する保育園に息子たちを預けたことから始まった。
息子たちの影響で信仰の道へ
西田さんの次男・順平さんは、幼い頃からごみ収集車が好きで、小学生になると収集を手伝うようになった。その姿は「ぼくは小さなごみ屋さん」という一編にまとめられ、映画化もされた。長男・幸平さんは新聞配達で家計を支えた。2人の息子は中学時代に自らの意思で洗礼を受け、西田さん自身は46歳で洗礼を受けた。
「息子は素直。教会の人はニコニコ。その頃、勤めてた学校が大変で私はいつも怖い顔。こんなふうに笑ってみたいと思ってん」と西田さんは振り返る。現在、幸平さんは自衛官、順平さんは消防士として「人の命を守りたい」と働いている。
50歳で関学神学部に入学
西田さんは、野宿者に温かいコーヒーを渡す活動を通じて、聖書を読むようになった。長男・幸平さんの「お母さんも関学で聖書、勉強したら?」という一言がきっかけで、小学校の講師を辞め、受験勉強を始めた。2000年秋、50歳で関西学院大学神学部の編入試験に合格。関学創立以来初の「同級生親子」となった。
授業では「神様って何なん」「どういう意味ですのん」と素朴な質問を連発し、級友から「西田のオカン、頑張れ」とはやし立てられた。西田さんは「私、年いってるからギリシャ語、ヘブライ語は涙、涙や。でも優等生やってん。幸平の成績も超したった」と語る。
野宿者ハルとの出会いと別れ
大学からの帰り道、西田さんは知的障害があり路上生活を続ける「ハル」という男性と出会った。弁当を届け、アパートを借りて世話を始めたが、ハルは隠れて酒を飲み、無銭飲食を繰り返した。2003年春、西田さんが四国の教会に牧師として招かれることになり、「ハル、絶対迎えに来るからな」と約束して別れたが、ほどなくしてハルは交通事故で亡くなった。
「私が殺したようなもんや。ハルみたいな野宿者を救える牧師にならせてください」と西田さんは祈った。しかし、牧師として赴任した四国の教会では、信徒たちから「あなたは牧師らしくない」と非難され、月7万円の謝儀で生活は厳しかった。母親の認知症も進み、西田さんは2年で四国を去ることを決意した。メダデ教会の設立まで、長い不遇の時が続くことになる。



