山田五郎さん死去、中川翔子が追悼「あと5分、間に合いませんでした」
山田五郎さん死去、中川翔子が追悼「あと5分」

編集者で評論家の山田五郎さんが亡くなった。22日、公式YouTubeで発表された。67歳だった。

親交のあった中川翔子が同日、自身のXを更新。山田さんを追悼した。

マネージャーがスーツ姿で報告

YouTubeでは、山田さんと20年以上仕事をしてきたというマネージャーが山田さんのスーツを着て登場。「ここで悲しいお知らせを皆様にお伝えしなければなりません。2026年7月14日火曜日夕方、山田、天国へ行ってしまいました。2026年7月19日土曜日、親族、友人、お仕事関係の皆様に見守られ、無事葬儀は済んでおります。葬儀にご参列いただきました皆様には、改めてこちらでお礼を申し上げます」と伝えた。

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中川翔子「人生の半分を五郎さんと」

中川は「山田五郎さんが7月14日に旅立たれました。2007年から始まったラジオ、『山田五郎と中川翔子のリミックスZ』、前の番組から数えると、およそ20年。人生の半分を五郎さんと一緒に過ごしてきました」と投稿。「スカシカシパン、深海生物、不思議な生き物、くだらないようで誰にも伝わらないようなマニアックな話を、息ができなくなるくらい笑いながら語り合った時間は、私にとって何より大切な宝物です」とつづった。

続けて「五郎さんは、どんな私も否定しませんでした。『お前はどうしようもねえなあ』『キモいなあ』そう言いながら笑ってくれて、叱ってくれて、心配してくれて、たまに褒めてくれて。五郎さんにしか話せなかったことが、本当にたくさんあります」と回顧。「五郎さんがいてくれたから、私は私のままでいていいんだ、好きなものを好きと言っていいんだと思えました。2年前、原発不明がんだと聞いたときは信じられませんでした。でも毎月のラジオでは元気に笑って、いつものようにエクレアを完食して、『この時間はこれからもずっと続く』と、勝手に信じていました」と続けた。

「今年に入ってからも3回、一緒に焼肉へ行きました。誰よりも食べて、フルコースを完食して、『また行こうね』と約束していた、その矢先でした。7月14日、会いに行きました。あと5分、間に合いませんでした。悔しくて、悲しくて、信じられなくて。でもどこかで、『お前はしょうがねえなあ。先に行くからよ、頑張れな。』と、五郎さんらしく笑って言われたような気がしました」と続けた。

「眠っているだけのような穏やかな顔でした。以前、五郎さんが数日間昏睡状態から回復されたとき、『死は無じゃない。意識は続いていて、ちゃんと世界で生きて行動してたよ。』と笑いながら話してくれたことが、今も忘れられません。だから今も、どこかで新しい世界を面白がって歩き回っているような気もしています」と追悼。

「お父さんを失うって、こんな気持ちなんだ。心に大きな穴が空いています。昨日は、いつも二人で座っていたラジオの席に、一人で座りました。いつも五郎さんが食べていたエクレアを、私が食べました。まだ全然、向き合えていません。葬儀の日は長野にいて、参加できなかったのが悔しいです。五郎さんがいなくなることは、日本にとって本当に大きな損失です。知識の深さ、好奇心、ユーモア、そしてどんな相手にも分け隔てなく向き合う優しさ。五郎さんのような人は、もう現れないんじゃないかと思います」と思いをはせた。

「AIがどれだけ進化する時代になっても、五郎さんだからこそ生み出せた言葉や発想、人を笑顔にする力は、決して代わるものではありませんでした。私にたくさんの世界を見せてくださって、本当にありがとうございました。五郎さん、大好きです。どうか安らかに眠ってください」と結んだ。

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山田五郎さんプロフィール

山田さんは、1958年生まれ、東京都出身。82年、講談社に入社し、雑誌『Hot−Dog PRESS』の編集長などを経てフリーとなる。『百万人のお尻学』や、『知識ゼロからの西洋絵画入門』、『銀座のすし』などを執筆。バラエティー番組『タモリ倶楽部』や、情報バラエティー番組『出没!アド街ック天国』などにも出演し、博識ぶりを披露していた。

2024年10月、原発不明がんを公表。「視聴者の皆さんから私の腰のこととか、体調のこととかご心配いただいてですね、あんまりいい話じゃないから黙ってようかと思ったんですけど」と以前痛めた腰に言及しながら、「ぎっくり腰じゃなくてがんだったんですよ」と報告。「骨もあちこち転移してる。そんな状況だったんですよ。当然そんな状況だからもうステージ4bとか」と明かしていた。