全国戦没者追悼式で遺族代表として追悼の辞を述べた金森武士さん(84)=岐阜県大垣市=は、3歳だった昭和20年5月、父の伊作さんをフィリピンのルソン島で亡くした。伊作さんは爆雷を抱えて敵戦車に突っ込む「戦車撃滅隊」の一員として戦死したという。
父の顔は軍服姿の遺影でしか知らない
伊作さんが出征したのは17年2月。金森さんは当時、生後一週間だった。そのころの記憶があるはずもなく、軍服姿の遺影でしか父の顔を知らない。多くを語らなかった母が、父の戦死を教えてくれたのは、金森さんが11、12歳のころだった。伊作さんが、生まれたばかりのわが子に靴を買い、それをお守り代わりに戦地に持参したこともそのころに聞いた。
遺骨収集団に参加し、ルソン島を初訪問
高校時代、伊作さんの上官が母親に宛てた手紙の記述から戦没地を知った金森さんは、「父親の死んだところへ一度行ってみたい」と48年11月、厚生省(当時)の遺骨収集団に参加し、初めてルソン島を訪れた。ちょうど伊作さんが戦死した32歳になろうとしていたころだった。伊作さんの遺骨も、手がかりになると考えた幼児用の靴も見つからなかったが、参加した元軍人から現地の当時の状況を聞くことができた。
「一日も早く世界の平和が訪れることを願う」
自身のような遺族を出してはならぬとの思いを込め、「いまだ世界各地では多くの紛争が続いており、私たちのような犠牲者が後を絶たない。一日も早く世界の平和が訪れることを願う」と訴えた。



