伏線かどうかも分からない「不確かさ」
通常のフィクションでは、世界観の謎はいつか解明されるものとして提示される。しかし『ちいかわ』の場合、それらが伏線なのか、作者が最初から説明するつもりがないのかも判然としない。この不確かさが作品に独特の奥行きを与えていると、作家・ライターでお笑い評論家のラリー遠田氏はみる。
設定が不足しているわけではない。むしろ『ちいかわ』の世界は、近代的な小説や漫画とは異なる「昔話」のような構造を持っていると考えるべきだと、同氏は説く。
現実と超自然的怪異が同居する平面性
昔話や民話では、登場人物の内面や社会制度の成り立ち、超自然的な存在の由来などが、近代小説のように立体的に掘り下げられることはない。王、貧しい若者、魔女、動物、怪物、魔法の道具が、同じ物語の平面上に並べられる。魔女がなぜ魔法を使えるのか、動物がなぜ人間の言葉を話すのかは問題にされない。
『ちいかわ』の世界にも同じ平面性がある。草むしりの仕事、コンビニで売られているような食べ物、資格試験、不気味な怪物といったものが、ほとんど区別なく同じ世界に存在している。現実的な商品と超自然的な怪異が、説明もなく隣り合っている。
一般的なファンタジーであれば、怪物の生態や魔法の法則、社会制度の歴史を細かく設定し、世界の整合性を示そうとする。しかし『ちいかわ』では、それはほとんど行われない。現代的な労働と昔話的な怪異が同居していても、その矛盾を解消しようとはしない。
説明の欠如が生む得体の知れなさ
この説明の欠如が、作品に独特の得体の知れなさを与えている。作者が意図的に読者を驚かせようと仕掛けているというより、もともと人間には理解できない世界をそのまま見せているように感じられる。
昔話にも、明確な教訓があるようでいて、実際には1つの意味に整理できないものが多い。善人が必ず報われるわけでも、悪人が必ず罰せられるわけでもない。約束を守ることの大切さを説いているように見えて、その一方で、偶然や運、残酷な力によって運命が決まることもある。



