ベストセラー作家・東野圭吾氏の同名小説を映画化した『白鳥とコウモリ』が公開された。『夜明けのすべて』などで俳優としても注目を集める松村北斗(SixTONES)と、朝ドラ『あんぱん』後初主演となる今田美桜がW主演を務める話題作だ。
弁護士殺害事件とふたりの疑問
善良と評判の弁護士・白石健介(中村芝翫)が刺殺された。容疑者として浮上した男・倉木達郎(三浦友和)が、「私がやりました。“すべての事件”の犯人は私です」と自供。事件は解決かと思われたものの、倉木の息子・和真(松村)と、白石の娘・美令(今田)が調書の内容にそれぞれ疑問を抱く。やがて容疑者の息子と被害者の娘という、決して交流してはならない、するはずのないふたりが手を取り合い“真実”へと動き出す。
※編集部注:本記事は物語の核心に触れる内容を含みます。知らない状態で映画をご覧になりたい方はご注意下さい。
原作へのリスペクトと再構成
上下巻からなる長編の原作にはさまざまな人物に付随したエピソードが積み重なっていくが、映画版は和真と美令ふたりのフォーカスに舵を切った。当然、そぎ落とす部分も多くなるが、向井康介の脚本は、十二分に原作リスペクトを感じさせ、ふたりのドラマを深めつつ、別軸エピソードを加えるような余計な作業は行っていない。何をどこで語るかという、映画としての再構成も利いている。
物語の中心となる和真と美令を演じる松村と今田の、繊細な演技が光る。ちょっとした感情の発露や瞳の光が印象的で、特に目に宿る力が、シーンごとにはっきり違う。揺らめきを見せる2本の柱を据えたことで、より周りのキャラクターの巧さも印象に残る。特に、事件を追う警視庁捜査一課の刑事・五代を演じる柄本佑の全体を貫く安定感はさすがだ。通勤で人が行き交う街を、イヤホンでクラシックを聴きながら登場する冒頭の場面に始まり、ふたりを絶妙な距離感で見つめる刑事に説得力を持たせている。
三浦友和の存在感と岸善幸監督の手腕
倉木を演じる三浦友和にも触れないわけにはいかない。セリフが一切ない留置場でのシーンなどは、三浦だからこそ成り立つ場面といっていい。2度目の鑑賞をする機会のある人は、倉木が自供に至る場面を筆頭に、三浦の演技が非常に多弁であることを見てほしい。岸善幸監督も「手が絶品」と評し、セリフを削る決断に踏み切ったそうだ。
本作は145分の作品である。かなりの長尺だが、長さをまったく感じさせない。それぞれのキャラクターの心情や、東野圭吾作品らしく土地も雄弁に物語る情景を、固定カメラでじっくりと撮ることで、作品世界に没入させる。生み出される揺れや波紋を掬う静かで確かな演出。物語を大きく動かす愛知県常滑での撮影では、そこで実際に暮らす演技経験のない人々の起用にこだわったといい、クライマックスに向け、その土地の匂いまで感じさせるような場面になった。岸監督(『あゝ、荒野』『前科者』『正欲』『サンセット・サンライズ』)の手腕に全編うならされる。
割り切れない人間たちの物語
ラストの動きあるドラマチックなくだりは、もっと抑えても十分だった気がするが、ミステリーとしての真相が分かったことで、本作はすべてが解決とはならない。真実とは、罪とは、業とは、何が正しかったのか……。(映画ではシーンが限られている)織恵から和真へ掛けられる、原作ラスト間際の言葉から伝わるメッセージなど、掘り下げが浅くならざるを得なかった部分もある。だが、和真と美令を主役に絞った物語として映画版はよくできている。
人の気持ちは割り切れず、さまざまな苦しみが残る。映画ラストのドラマチックさは、割り切れない「人間」たちの物語へのせめてもの光なのかもしれない。



