人気キャラクター「ちいかわ」の映画『人魚の島のひみつ』が、不思議な余韻を残す展開で議論を呼んでいる。明確なカタルシスも感動も恐怖もないまま物語が終わってしまうからだ。
意味がはっきりと示されないからこそ、作品には解釈の余地が生まれる。読者は自分の経験や不安、欲望をそこに投影できる。説明されない余白があるからこそ、繰り返し考え、誰かに語りたくなる。この性質は、「ちいかわ」がSNS発の作品であることと深く関わっている。
SNSがよみがえらせた“語り”の文化
昔話や民話は、もともと本に固定された作品ではなく、人から人へ語り継がれることで伝承されてきた。同じ話でも地域や語り手によって内容が変わり、聞き手の反応によって強調される部分も変化した。物語は誰か一人の所有物ではなく、語る共同体の中で更新され続けるものだった。
SNSは、この口承文化に似た役割を果たしている。「ちいかわ」は一話ずつSNSに投稿され、読者が共有し、感想を述べ、意味を考え、次の展開を予想することで広がっていった。作者から読者への一方向の伝達ではなく、読者同士が語り合う過程そのものが、作品の成立過程の一部になっている。
どの場面が恐ろしいのか。どのキャラクターが何を考えているのか。世界の仕組みはどうなっているのか。公式に答えが示されないからこそ、読者の語りが作品の周囲に蓄積されていく。その積み重ねによって、「ちいかわ」は作者一人の作品であると同時に、大勢の人々が共有する物語になった。
“現代に生まれた昔話”としての『ちいかわ』
「ちいかわ」は、現代に生まれた昔話である。何らかの教訓を伝える話でも、わかりやすい笑いや感動、興奮をもたらす話でもない。ただ、かわいく、恐ろしく、楽しく、理不尽な出来事が、理由もわからないまま続いていく。
そのとらえどころのなさに、人は自分なりの意味を見つけ、その意味を誰かに語りたくなる。お笑い評論家のラリー遠田氏は、人気の根源が、かわいさの奥に広がる説明しきれない昔話的な世界にあるとみる。



