東京・早稲田の新宿区立漱石山房記念館で、企画展「夏目先生―漱石の教師時代」が7月中旬まで開催された。教師時代の写真や後輩への手紙、試験答案の複製、初版本などが展示され、多くの見学者が訪れた。漱石が教育に込めた熱い思いを伝える内容となっている。
学生時代の論文にみる教育観
漱石は帝国大学在学中に執筆した論文「中学改良策」(明治25年)で、明治政府が富国強兵のもと国家のための人材育成を目指す中、「軍艦も作れ鉄道も作れと説きながら」「未来国家の支柱たるべき人間の製造」に費用を投じないことを「吝嗇の極なり」と批判。さらに「国家のために人間を教育するという事は理屈上感心すべき議論にあらず」「理論上より言えば教育はただ教育を受くる当人の為めにするのみ」と論じ、個人の成長を重視する姿勢を示した。
生徒思いの教師としての一面
漱石は高等師範学校、愛媛県尋常中学校、熊本の第五高等学校などで15年間教鞭を執った。松山では英文法を教え、血気盛んな生徒との交流は「坊っちゃん」に反映された。五高では原書を読み切る高度な授業を行い、生徒に達成感を与えた。企画展では、家庭の事情や病気で退学した生徒を心配し、他校への入学を打診する手紙も展示され、生徒を思いやる姿が浮かび上がる。
教え子への熱いメッセージ
東京帝国大ではラフカディオ・ハーンの後任として英文学講師を務め、シェークスピア講義で人気を博した。教え子の歌人・木下利玄の受講ノートには、漱石の言葉として「今日は大に吾人が事業を為すべき幸福な時代である」「諸君は大学へ入ってcultureを受ける事が出来る幸な人なんだから」「各方面に大に為す所がなくては済まないであろう」と記録されている。同館学芸員の鈴木希帆さんは、漱石が学生に恵まれた立場を自覚し、日本の文化発展に貢献するよう願っていたと分析する。この姿勢は学生時代の論文から一貫しており、学習院での講演「私の個人主義」にもつながる。



