「友達、何人いる?」という質問に不安を感じる人は少なくない。多ければ安心し、少なければ焦る。ゼロなら、自分に問題があるのではないかと疑い始める。しかし、哲学者の小島和男さん(学習院大学文学部哲学科教授)は、友達の数で人の価値を測る発想自体が根本的に間違っていると指摘する。
「友だち幻想」からの脱却
小島さんは、社会学者の菅野仁の著書『友だち幻想:人と人の〈つながり〉を考える』(2008年)を引用しながら、現代人が「友だち幻想」に囚われていると分析する。それは「誰とでも仲良くなれる」「私を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」という幻想だ。しかし現実には、合わない人が必ずいる。全員と仲良くなることは不可能だ。
菅野は、他者とは「自分とは違う考え方や感じ方をする人間」と定義する。どんなに気の合う、信頼できる、心を許せる人間でも、自分とは違う価値観や感じ方を持つ「異質性を持った他者である」と意識することが、幻想から抜け出す第一歩だと小島さんは説明する。価値観が100%共有できるなら、それはもはや他者ではなく、自分そのものか自分の分身だ。
「ムラ社会」から「並存性」への転換
菅野は、同質性を前提とするムラ的な共同体の作法から脱却し、「並存性」へと発想を転換することを提案する。つまり、「みんな同じ」であることを求めるのではなく、異なる価値観を持つ者同士が、最低限のルールを共有しながら共存することを目指すべきだとしている。
小島さんは、友達の有無や数はその人の社会的価値を測るバロメーターではないと断言する。友達がいないからといって、後ろめたく思う必要はまったくないという。
2000年前の哲学者セネカの提案
小島さんは、古代ローマの哲学者セネカの具体的な提案を紹介する。セネカは「人間ごときを友にしなくてもいい」とし、偉人を友とすることを勧めた。具体的には、本を読むことで時空を超え、過去の偉人たちと対話できるという。本を友とすることで、幸せな老後をもたらす友達を得ることができるとしている。
本稿は、小島和男『生まれたくなんかなかったのに それでも生きるための哲学』(幻冬舎)の一部を再編集したものだ。



