「遠くへ行った気になれる本屋さん」文化人類学者・松村圭一郎さんが空想する
「遠くへ行った気になれる本屋さん」松村圭一郎さんが空想

暑い。溶けるように暑い。せっかくの夏休み。どこか遠くへ行きたいのだけど、この酷暑で外を歩き回ることを想像しただけでも二の足を踏んでしまう。こんなとき近所に「遠くへ行った気になれる本屋さん」があればいいのに、と文化人類学者の松村圭一郎さんは空想する。

本を読みはじめたきっかけ

本を読みはじめたのは、ささいなことがきっかけだった。中学二年生のころ、日本の近代文学についての歴史の授業だった。先生が「森鴎外の『山椒大夫』読んだことある人?」「夏目漱石の『坊っちゃん』読んだ人?」などと問いかけた。一人の女子生徒だけがずっと手をあげる。私は何ひとつ読んだことがなかった。

悔しい。そう思ったのかもしれない。帰宅してすぐ母親に「なんか文学の本、買ってきて」と頼んだ。母は夏目漱石の『坊っちゃん』『三四郎』『こころ』などの文庫本を買ってきてくれた。最初に『坊っちゃん』を読んで驚いた。明治大正期の文豪と言われる人の言葉が、すいすいと頭に入ってくる。しかも笑えるし、おもしろい。意外だった。80年以上前に書かれた小説なのに。そんな昔の人の文章を楽しめるとは想像していなかった。

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読書は時間と空間を超える旅

それから貪るように本を読むようになった。気がつけば、自宅の本棚にはいろんな国の小説があった。それまで視界にも入っていなかった本棚が、急に魅惑的な宝箱に見えた。

高校受験の直前も、ベッドのなかで夜遅くまで本を読んでいた。現実逃避だったと思う。本を読んでいるあいだ、目の前のことを忘れ、どこか遠くの時代の遠くの場所に行くことができた。高校に入ると、小説以外にも、哲学や評論の本に手をのばした。国語の教科書で知った小林秀雄の本などにはまっていた。生きる意味とはなにか、人生をどう歩めばよいのか、先の見えない暗闇のなかで悶々としながら答えを模索していた。

本には、知らない時代の知らない人たちの営みが刻まれている。読書は、そんな時間や空間の隔たりを一瞬で超えられる旅だ。本を読みながら、私は空想の旅をしていたのかもしれない。実際、大学生になって自分で旅に出られるようになると、読書熱は少し収まった。遠くに行けない中高生のころ、読書は窮屈でままならない「いま、ここ」とは違う「いつか、どこか」の世界に浸れる時間だったのだ。

熊本の避難者への思いと「空想書店」コーナー

この暑さのなか、地元熊本で避難生活を強いられている人たちのことが気にかかる。一冊との出会いが少しでも心の平安をとりもどすきっかけとなることを祈りつつ。

丸善丸の内本店(JR東京駅前)の3階で、近日中に松村圭一郎さんの「空想書店」コーナーが登場します。

松村圭一郎さんは1975年、熊本県生まれ。同志社大教授。専門は文化人類学。『うしろめたさの人類学』で、毎日出版文化賞特別賞。著書に、『海をこえて 人の移動をめぐる物語』など。

店主の1冊とおすすめの本

店主の1冊は『帰れない探偵』(柴崎友香著、講談社、2035円)。「今から十年くらいあとの話」という冒頭の一文から時空がゆがむ。日本のどこかの街だと思って読み進めると、そうではないらしい。まさに、いつか、どこかへと旅する小説。

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他にも、『影の王』(マアザ・メンギステ著、粟飯原文子訳、早川書房、4070円)は、こんなにエチオピアの土の香りのする小説は他にないとし、アフリカの知られざる近代史の扉を開く一冊と紹介。『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス著、鼓直訳、新潮文庫、1375円)は、言わずとしれた中南米文学の名作で、遠くの世界に連れ去られる読書体験としては他の追随を許さないという。『道徳を基礎づける』(フランソワ・ジュリアン著、中島隆博・志野好伸訳、講談社学術文庫、1540円)は、古代中国の孟子の思想を西洋の哲学と絡めて繙くスリリングな一冊で、知の冒険へと誘う。『プシコナウティカ』(松嶋健著、世界思想社、6380円)は、1970年代末から精神科病院を廃止したイタリアの民族誌で、魂をとり戻す航海へ。濱口竜介監督の最新作で参照されて話題になっている。