伏見工業が「神がかり」な試合をする理由 平尾誠二さんが語った山口良治さんの力
伏見工業「神がかり」試合の理由 平尾誠二さん語る

京都市立伏見工業高校(現・市立京都工学院高校)ラグビー部を監督として全国高校大会優勝に導き、29日に83歳で亡くなった山口良治さん。情熱的に生徒と向き合い、「泣き虫先生」の愛称で親しまれた人柄に接したゆかりの人々は突然の訃報を悲しんだ。

教え子たちの悲しみ

教え子で京都工学院高ラグビー部監督の大島淳史さん(43)は今月20日に山口さんの自宅を訪問。31日に京都市内で行われる府高校総体の試合の観戦チケットを渡した際、山口さんから「チームどうや」「終わったら食事行こか」と声をかけられたのが最後の会話になった。大島さんは「元気な様子だったのでショックです」と話した。

大島さんは30日の練習で部員に試合で着用するジャージーを手渡し、「山口先生が作り上げたラグビー部の伝統を示す『赤黒ジャージー』を着てグラウンドに立つ以上、ひたむきに戦ってほしい」と語りかけた。

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31日は部員が喪章を腕に巻いて試合に出場し、山口さんが現役時代の「背番号7」のジャージーを「信は力なり」という座右の銘を記した横断幕の横に掲げる。

ラグビー界の功績を称える声

教え子を受け入れてきた京都産業大ラグビー部の大西健・元監督(76)は「半世紀近い付き合いで、話す内容はラグビーと生徒のことばかり。教え子と同じ目線で愛情を注ぐ姿は勉強になった。京都にラグビーを根付かせた人が旅立ち寂しい」と惜しんだ。

西脇知事は「伏見工業高ラグビー部を全国屈指の名門へと育て上げられた卓越したご指導は、数々の輝かしい実績を残され、多くの人々の記憶に強く刻まれている」と談話を発表した。

平尾誠二さんとの師弟の絆

「伏見工は時々、神がかりのような試合をする。そういうときのチームの特徴はラグビーにピュア(純粋)であること。山口先生が極めてピュアな人だったから、とんでもない力につながった」。教え子で元ラグビー日本代表監督の平尾誠二さんが語っていた。

2人の出会いは京都市出身の平尾さんが中学生の頃。山口さんが平尾さんの試合を会場で見ていた。「普段は中学生の試合は見ないけど、私が『パス』と思ったとき、そのとおりに平尾がパスを出していた。この子とラグビーができたら面白いだろうなと思った」

山口さんは平尾さんの自宅を訪ね、中学生を相手に日本代表での経験や日本ラグビーのあるべき姿、夢を語った。「平尾はバンビみたいな目をして聞いてくれた」。しかし、当時の京都には伏見工業高より強い学校があった。「半分あきらめていた。だから平尾が伏見工を受験すると聞いてうれしかった」。2人の歩みがここから始まった。

伏見工業高が試合終了間際の劇的なトライで大阪工大高を破り、全国高校大会初優勝を飾った1981年1月の決勝。山口さんは主将の平尾さんの脚をマッサージして試合に送り出したという。「脚をけがしていたから『立っているだけでええ』と言ったものの、少しでもプレーさせてやりたかった」

他校との統合で京都工学院高となる伏見工業高について、平尾さんは「山口先生に出会い、先生に教えてもらいたくて伏見工でラグビーをしようと思った。期待に応えたいという使命感があった」と振り返った。2016年に53歳の教え子の訃報に接した山口さんは「信は力なりだけど、15歳の少年を信じられたのはよかった」と話した。変わらない師弟の絆が確かにあった。

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