アフガニスタンで人道支援に取り組む民間活動団体(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)の会長に昨年11月、原土井病院(同)理事長の原祐一さん(59)が就任した。現地で医療支援や用水路建設などに取り組み、2019年に凶弾に倒れた中村哲医師(当時73歳)の遺志を継ぎ、会の運営を担う原さんに、活動の原点となった体験や今後の抱負を聞いた。
会長就任の経緯
「中村先生が亡くなって活動の継続が危ぶまれた中、当時会長だった村上優さん(76)が、現地で活動するNGO『PMS(平和医療団・日本)』の代表も引き継いだ」と原さんは振り返る。自身は当時、福岡県医師会理事や病院副理事長として新型コロナウイルス禍に対応しており、ペシャワール会の活動にあまり関われていなかったという。村上さんから2024年、「若返りを図りたい」と会長後継の打診があった。「40年以上歴史がある会の運営に重責を感じたが、『やるしかない』と引き受けた。PMS代表は村上さんが引き続き務めており、ペシャワール会は会費や寄付をもとにPMSの活動を後方から支援する」と説明する。
会との出会い
中村医師は西南学院中学と九州大医局の先輩に当たり、同じ精神科医でもある。パキスタンやアフガニスタンで医療活動している先輩がいると名前は聞いていた。大牟田労災病院(当時)で、先生が診ていた患者さんを担当したことで、意識するようになったという。
会の関係者に誘われ、2005年にPMS基地病院(当時)やアフガニスタンを訪れた。アフガンでは大干ばつが起き、現地の活動は井戸掘りから用水路建設に移っていた。見渡す限りの砂漠で「水が通っても吸収されて終わりなのでは」と半信半疑だったが、2010年にマルワリード用水路(現在は全長約27キロ)の主要部分が完成。数年後、緑に覆われた写真を見て本当に驚いたと語る。
中村医師から教えられたこと
「先生は『飢えや渇きは薬では治せない』と言われていた。『どんな場所でも水路を通すことはできますか?』と尋ねたら、『かつて緑の大地だったアフガンだからできるんです』と返ってきた。昔は緑も畑もあったが、ソ連のアフガン侵攻(1979~89年)で水路が壊され、水が来なくなっただけだ、と」
戦争の長期化で職も土地も失い、傭兵やゲリラになるしかない人が多くいたが、用水路建設の現場では、そういう人たちが機関銃を鍬に持ち替えていた、と教えてもらった。先生の活動はそういう人たちに職を与え、戦争に向かわせないために農地をよみがえらせていた。
中村医師の死去後も支援拡大
中村医師の死去後も会員・支援者が約1万人増えるなど支援は広がりをみせている。「現在の会員・支援者は約2万5000人。昨年11月には(中村医師の活動の原点でもあった)現地でのハンセン病診療を約15年ぶりに再開することができた。後継者育成の側面もあり、新たに加わったドクターたちが活動に共鳴して長く働いてくれることが大事だ。支援をいただいているのは、PMSの活動への共感もあるだろうが、寄付金がどう使われているのかが確実に見えるからだと思う」
今後の活動への抱負
「最近のアフガンは干ばつが続いたかと思えば、洪水に襲われる。川の水を引く用水路に加え、鉄砲水を防ぎ、洪水で流れてきた水を蓄えるため池を建設している。現地の活動を支えるのが、日本にいる私たちの役目だ。会員が高齢化する中、活動を知ってもらい、目に留まるように、若い人向けの広報にも力を入れていきたい」
「『病気は後で治せる。ともかく生きのびておれ!』という中村先生の言葉がある。医療を軸に始まった活動だったが、現地の状況に合わせ人々が生きるための活動にまで広がった。この先、10年、20年と支えられる体制を作っていきたい」と語る。
原さんは福岡市東区出身。1994年、東京医科歯科大を卒業し、九州大医学部の精神科に入局した。原土井病院理事長のほか、福岡県医師会常任理事なども務める。福岡市の指定管理者として診療で訪れる玄界島や能古島でのひとときが息抜き。理事長を務める能古博物館ではペシャワール会の活動を常設展示している。



