高市政権の「責任ある積極財政」を問う 経済成長と財政健全化の両立は可能か
高市政権の「責任ある積極財政」を問う 両立は可能か

「責任ある積極財政」の実像を探る

高市早苗首相が率いる政権は、「強い経済」の実現を最大の目標として掲げている。その経済政策における中心的なスローガンが「責任ある積極財政」である。しかし、この「責任ある」という言葉が具体的にどのような意味を持ち、どのように政策に反映されているのか、疑問を抱く声は少なくない。

所信表明演説から読み解く「責任」の定義

2025年10月24日に行われた所信表明演説において、高市首相は明確に方針を示した。「この内閣では、『経済あっての財政』の考え方を基本とします。『強い経済』を構築するため、『責任ある積極財政』の考え方の下、戦略的に財政出動を行います」と述べている。さらに、「これにより、税率を上げずとも税収を増加させることを目指します」と付け加えた。

この発言を解釈すると、財政再建のみを優先して予算を抑制すれば、経済活動が冷え込むリスクがあるため、「責任」を持って財政支出を拡大し、経済成長を促すという構図が見えてくる。政府は、財政出動によって経済が活性化し、自然と税収が増加するという好循環を想定している。それにより、政府債務の対GDP比率が低下し、財政健全化が進むというシナリオを描いているのだ。

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現実的な課題と政策の限界

しかし、「財政出動→経済成長→税収増」という流れが、現代の経済状況でどれほど現実的なのか、専門家の間では懐疑的な見方も根強い。財政支出が経済成長に与える波及効果は、過去に比べて明らかに小さくなっている。効果が薄い政策に多額の予算を投じれば、期待したほどの成長は見込めず、財政赤字の拡大を招くだけである。

特に、「おこめ券」に代表されるようなバラマキ的な経済対策では、財政出動のコストを回収できるだけの経済効果を生み出すのは難しい。2026年度の当初予算案を見ても、歳入の多くは依然として巨額の赤字国債に依存しており、コロナ禍以前の健全な財政状態には程遠い。この状況で「責任ある」という言葉が空虚に響くのは否めない。

政治的背景と政策の矛盾点

とはいえ、こうした財政運営を高市政権だけの責任とするのは公平ではない。近年の選挙戦では、与野党を問わず、「給付か減税か」といった有権者へのアピールを優先する政策論議が目立つ。国政選挙での大敗により、綱渡りの国会運営を余儀なくされている現政権が、「サービス重視」の姿勢を取りがちな事情も理解できる。

しかし、インフレ抑制が課題となる中で、政府の対応には矛盾が感じられる。本来、インフレを鎮静化させるためには、利上げや歳出削減といった需要抑制策が基本となる。ところが、政府は日本銀行の利上げを牽制し、電気・ガス料金への補助金など、需要を拡大させる政策を継続している。政策手段の整合性に欠ける点は否めない。

歴史から学ぶインフレ対策の教訓

実は、終戦直後の日本も同様のジレンマに直面していた。1945年から1949年にかけて、物価が70倍にも膨れ上がるハイパーインフレが発生した。当時の政府は復興を優先し、石炭や鉄鋼などの基幹物資の価格高騰を抑えるため、巨額の補助金を投入した。1947年度予算では、その支出が全体の4分の1を占めたとされる。

さらに、復興金融債の7割を日本銀行が引き受ける事実上の量的金融緩和策も実施され、インフレに拍車をかけた。こうした状況の中で導入されたのが、米国のジョセフ・ドッジが立案した超緊縮策「ドッジライン」である。この政策の評価は分かれるが、当時の吉田茂首相が国民に向けて行った演説は印象的だ。

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「現内閣が今後遂行せんとする強力にして責任ある政策に対し、国民諸君が全幅の後援と鞭撻を与えられんことを切望してやまないのであります」と述べ、苦境に立たされる国民に理解を求めた。ここでの「責任」には、政策の失敗による損失や制裁を受ける覚悟が含まれている。

「責任」という言葉に込めるべき真意

新明解国語辞典第8版によれば、「責任」には「失敗に基づく損失や制裁」という意味もある。高市政権が「責任ある積極財政」を掲げるのであれば、単なる財政出動ではなく、痛みを伴う選択も含めた政策の整合性と、失敗した際の自らの覚悟を示すことが求められる。国民に対して誠実に説明し、困難な決断を共有する姿勢こそが、「責任」という言葉にふさわしい在り方ではないだろうか。