2026年5月、米中首脳会談の冒頭で「トゥキディデスの罠、両雄並び立たず」という言葉が飛び出した。これはハーバード大学のグレアム・アリソン教授が著書『米中戦争前夜』で提唱し、広く知られるようになった概念である。しかし、習近平国家主席はこの考えを否定し、両国関係は対決ではなく協調であると強調した。この発言は単なる外交辞令ではなく、西欧的な歴史観に対して東洋、とりわけ中国の伝統的な歴史観を対置する意図があると解釈できる。
西欧歴史学の特徴:覇権闘争と進歩
ギリシャの歴史家トゥキディデス(紀元前460~395年頃)は、西欧歴史学の祖とも言える存在である。近代歴史学の父レオポルト・フォン・ランケ(1795~1886年)もその系譜に連なり、彼の歴史観は覇権闘争と進歩・発展を核心としている。ランケは、すべての国が同一の歴史段階を経るという世界史観を持ち、最も進歩した強国=覇権国が歴史を牽引すると考えた。そして西欧こそがその覇権国であるという自負が、彼の著作には色濃く反映されている。
ランケの『世界史概観』には次のような一節がある。「アジアに目を向けると、文化の発生やいくつかの文化段階を認めることができるが、歴史の動きは全体として退行的である。アジア文化の最古の時期が全盛期であり、その後は衰退し、蛮族(蒙古族)の侵入とともに文化は終焉を迎えた」。この言葉は、世界史の中心はアジアではなく西欧であり、西欧こそが世界史の本流であるという西欧中心主義を明確に示している。
同様の考えは、哲学者イマヌエル・カント(1724~1804年)やゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831年)にも見られ、19世紀に世界の覇権を握った西欧の自信に満ちあふれている。この歴史観では、国家間の競争と覇権の交替が歴史の原動力とされ、トゥキディデスの罠もその延長線上にある。
東洋歴史観:司馬遷が描く秩序と倫理
一方、中国の歴史観は司馬遷(紀元前145~86年頃)の『史記』に代表される。司馬遷は単なる権力闘争の記録ではなく、政治と倫理が一体となった秩序の維持を重視した。彼の歴史叙述は、王朝の興亡を道徳的な教訓として描き、乱世を経てもなお社会の安定を求める東洋的な価値観を反映している。
中国史においては、覇権の交代よりも、秩序ある変化と長期的な安定が重視される。習近平の発言は、この伝統的な歴史観に基づき、米中が対決ではなく協調によって世界秩序を維持すべきだというメッセージと受け取れる。トゥキディデスの罠が必然の衝突を暗示するのに対し、司馬遷の歴史観は人間の努力によって運命を変えうるという楽観性を含んでいる。
二つの歴史観が示す米中関係の行方
現代の米中関係を理解するには、この二つの歴史観の違いを踏まえる必要がある。西欧的な覇権闘争史観は、新興国と既存大国の衝突を不可避と見なしがちだが、東洋的な秩序史観は、双方の歩み寄りによる共存の可能性を示唆する。2026年の首脳会談でのやり取りは、単なる外交上の駆け引きを超え、世界史の分岐点に立つ両国の深い認識の相違を浮き彫りにした。
今後、米中が真の協調関係を築けるかどうかは、それぞれの歴史観を超えた新たな枠組みを構築できるかにかかっている。トゥキディデスと司馬遷、二つの巨人の遺産は、現代の国際政治にもなお重要な示唆を与えている。



