人はなぜ働くのか。働くとは何か。第175回芥川賞受賞作『ゾンビ回収婦』(小砂川チト著、講談社・1980円)は、そんな問いを読者に突き付ける小説だ。
AIに仕事を奪われた妻がVR世界へ
30代の夫婦が突然そろって解雇予告を受ける。AIに仕事を奪われたと妻の「わたし」は考える。言動がおかしくなって夫が失踪したあとに残されたゲーム用のVRヘッドセットを、「わたし」は好奇心から装着してみる。すると、たちまち仮想世界のとりこになってしまうのだ。
そこはゾンビたちがたむろする廃墟ホテル。ログインしたプレーヤーがゾンビを殺戮する血みどろの世界だ。そんな世界で「わたし」はプレイするのではなく、働き場所を見つける。裏方のNPC(ノン・プレーヤー・キャラクター)として、ゾンビの遺骸を回収する掃除人となるのである。
現実より美しいゲーム世界
せっせと片付けクリーンにする仕事に、彼女は生きがいを見いだすようになる。ときにはヘッドセットを外して現実に戻るときもあるが、思い通りにならない不快な肉体があるだけだ。ゲーム世界の方が現実よりずっと生きている実感があって美しい、と彼女は思う。
このような事態はずいぶん以前から「ゲーム中毒」などと弊害のように呼ばれたものだが、本書はそのずっと先を行く。
孤独と労働の不毛を可視化
ゾンビの中に、戦闘に加わらずおびえて物陰に隠れてばかりの個体がいる。「わたし」はアラスカと名付け、親近感を覚える。集団に溶け込めない孤独や不安がここにもあるのだ。「わたし」の方も、仕事ぶりを誰からも認められない不満を次第に募らせ、セラピーを受けたりする。
孤独も労働の不毛も、このVR世界は現実以上のグロテスクさで可視化していくのである。働くことの意味、生きている証しを「わたし」は求め続けるが、本書は救いも回答も与えない。世界のモラルも自己の存在の意味も信じられなくなったバグだらけの現実への、いっそ痛快な批評がここにある。その徹底したねじれぶりを愉しむべき小説だ。



