煙の気配を感じ取るザック
ザックは開け放たれたドアを見つめ、砂糖煮の娘の足音が遠ざかっていくと「そこにいるんでしょう?」と呟いた。地下は静かなままだったが、ザックは卵白を塗る筆を置いて、薄暗い廊下を見つめ続けた。やがて、影が動いた。まだタキシードのままの煙が、音もなく部屋に入ってくる。
「よく気付きましたね」と、煙は静かに微笑んだ。「少々驚きました」
「砂糖煮ちゃんが言っていたの。二人とも足音がしないんだけど、金のパパは気配しかない足音がするって」
「わたくしは?」
「銀のパパは音を吸ってしまう」
ザックはまっすぐに煙を見上げた。「あなたの気配は地底で眠る鉱物に似ている。触れた空気を変えてしまう静かな石。それに気付いたら、わかるようになった。姿は見えなくても、あなたが聞き耳をたてているのが」
煙の反応と菫の花
煙は「鉱物ですか」と微笑むと、ザックから目を逸らし、天板の上に並べられた菫の花に目を落とした。涙で萎れた花を摘み、そっと自分の口に運ぶ。
「あの子はしばらく帰ってきません。まだ夜は冷えますし、温かい飲み物でもご用意しましょうか」
「どうしてしばらく帰ってこないってわかるの?」
「わたくしたちが育てましたから。今、あの子は自分を見失っているのです。そして、そのことに気付いたから出ていったのでしょう。この部屋にも手洗い場はあるのですから。あなたに泣いた顔を見られたくなかったのですよ。心配はいりません。自分を落ち着かせたい時、あの子はしばらく貯蔵室にこもって、それから笑顔で戻ってきます。昔からそうでした」
学者の可能性とホテルマンとしての矜持
ザックはまだ煙を見つめたままだった。「どうしてずっとそんな口調なの? わたしはホテルのお客さんじゃないのに」
「今は確かにそうですが、先のことはわからないでしょう」
「偉い学者になるかもしれないから?」
そばかすに皺を寄せてザックが笑うと、「そうですね」と煙も微笑んだ。ザックは伸びをして言った。「あなたは正しいホテルマンなんだね」
煙は答えなかった。ザックはもう一度、煙の顔を見上げた。



