大連育ちの美貴子は、修学旅行で初めて日本を訪れる。父は仕事のため前日に別れを済ませ、静かに「なんでもよく見、聞き、日本という国をしっかり目に焼きつけておいで」と言った。その言葉だけで美貴子は泣きそうになった。生まれてこの方、大連を離れたことも、父と離れて過ごしたこともないからだ。
船出と期待と不安
「お母様! 富美子!」と精一杯の力を込めて叫ぶ美貴子。大きな鐘の音が響くなか、船がゆっくりと岸を離れる。距離が伸びるたびに紙テープがちぎれ、海に落ち、水の中に溶けていく。日本がどんな国なのか、やっと見ることができる。美貴子の胸のうちには、期待と不安が共存していた。
修学旅行は二十日以上にも及ぶ大旅行だった。大連を発ち、門司、下関、厳島、神戸、大阪、奈良、吉野、伊勢、江ノ島、鎌倉、上野を巡る。東京では宮城と明治神宮、新宿御苑を見学し、さらに日光、京都、岡山、高松、別府、大分、博多と、内地の名所旧跡を訪れる予定だ。
門司港での衝撃
門司港に着いたのは、大連港を出て二日後のことだった。そこで初めて美貴子は日本の地を踏んだ。まず感じたのは、空気がやけに埃っぽいことだった。舗装されていない土埃が立つ道を、荷車や人力車を引く人や、薄汚れた衣類に身を包んだ人たちが歩いている。
「ああ、門司にも中国の人がいるのか」と美貴子は思った。ならば大連と同じだ。力仕事や汚れ仕事は、美貴子が生まれたときから中国の人たちの仕事だった。同じ班の誰かが、美貴子と同じ考えを大きな声で口にした。「ずいぶんとたくさん中国の人たちがいるのねぇ」と。
するとすぐに先生の声が飛んだ。「何を言っているんですか。あの方たちは皆、日本人ですよ」。そこにいた生徒の誰もが思ったはずだ。「えっ、日本人でもそんなことをする人がいるの?」と。新しい町、大連育ちの女生徒たちの目は、それくらい曇っていた。