北海道の洋画家・木田金次郎(1893~1962)は、漁師出身でありながら「乗り鉄」だった可能性が高い。岩内町の木田金次郎美術館で始まった企画展「木田金次郎と鉄道」は、その鉄道愛と旅から生まれた作品に焦点を当てている。
金次郎は自家用車を持たず、上京時やスケッチ旅行では常に鉄道を利用した。企画した岡部卓館長によると、「自宅の遺品には道内鉄道時刻表もあった」という。金次郎の生きた時代、鉄道は人と物資を運ぶ身近な手段であり、岩内に馬車鉄道が通じたのは1905年のことだった。
鉄道と共に生きた画家の足跡
金次郎は東京に進学した際も、家運が傾いて北海道へ戻った際も、鉄道を使った。岩内に定住した後も、画壇の仲間と会うために小樽や札幌へ鉄道で出かけていた。私淑した有島武郎や有島家の人々との縁で、道内外に知人・友人がおり、たびたび根室や秋田も鉄道で訪問している。
展覧会では、郷里や北海道の絵だけでなく、東京や海外を描いた貴重な作品も展示されている。「風景(下谷あたり)」(1910年)は東京時代にはがきに描かれた水彩画で、「大連風景(老虎灘)」と「朝鮮金剛山」(ともに1928年)は、金次郎が唯一日本本土を離れた旅で描いた作品だ。旅先を記録した手帳も見つかり、彼の足取りが明らかになっている。
旅から生まれた作品群
秋田の友人の遺族が所蔵していた作品や、晩年の金次郎を支えた島本融・北海道銀行頭取の著書「銀行生誕」の挿絵として描かれた道内各地のスケッチなど、鉄道旅から生まれた作品が選ばれた。
ポスターにも使用された作品は、大阪行きの特急「富士」の先頭車両と共に写真に収まった金次郎の姿を捉えている。この企画展は、金次郎の旅と作品を通じて、鉄道が彼の創作活動に与えた影響を探る内容となっている。



