長野県佐久市の平尾山の山すそは、桃の花の名所として知られる。実りの季節は夏で、標高約800メートルの畑で8月初め、たわわに実った桃を依田綾香さん(42)が収穫していた。依田農園の4代目で、「大嫌いだった」という農業を継いで4年目になる。
戦後に桃の生産団地が造成
「佐久市志」によると、平尾山周辺はかつて桑畑や麦、大豆の畑だったが、戦後に桃の生産組合ができ、防除施設などを備えた桃の生産団地が造成された。1959年から苗木を植え、最盛期の70年代末は一帯で900~1千トンの桃を出荷した。
依田さん一家も曽祖父の代から団地で畑を営む。「子どものころ、夏に海へ出かけたこともなかった」と依田さん。大人たちが桃の収穫に追われていたからだ。
「義務感」で継いだ農業
父は大学を卒業し、東京で法律関係の仕事に就く夢もあったが、祖父母を助けるために30代で家業を継いだ。「父は農業があるから、やりたいことを犠牲にしなければいけなかった」。そう感じた依田さんは、農業が嫌になった。農作業で家族が無理を重ねる姿も見てきた。だから大学を出ると、事務職員として就職する道を選んだ。
桃の生産団地では、高齢化などに伴い農家が離れていったという。依田さんの父は10年近く1人で畑を守ったが、4年前、73歳で急逝した。約40本の桃と、プルーン畑、田んぼが残った。依田さんはフルタイムの仕事を続けながら、夫とともに農業を継ぐことにした。「私の代で(果樹を)切って、父や祖父母の苦労を無駄にしちゃいけない。義務感で継いだんです」
朝4時起きでも「幸せがこみ上げる」
技術を教わる前に父が亡くなったため、1年目は桃の剪定方法も分からず、「切っちゃいけない所をほぼ切ってしまった」。100個近く収穫できるはずの木に数個しか実らず、約40本の桃畑で得た収入はわずか10万円。図書館で独学し、農業技術の勉強会にも参加するようになった。
栽培する桃は、あかつき、白鳳、川中島白桃の3品種。畑の土は硬くて栽培管理が難しいが、学んでいくうちに「桃がストレスを受けて栄養をためようとするので、甘くて濃厚な味になるのでは」と気づいた。繁忙期は朝4時に起きて畑に出てから、新幹線で長野市の勤め先へ向かう。それでも桃が実をつけると「幸せな気持ちがこみあげてくる」。農業が「楽しくて大好き」なものへと変わっていった。
仲間とともに平尾の桃を全国へ
これからは、仲間をつくりたい。今春、農業サークル「畑と台所」を立ち上げると、30~40代の女性30人余が加わった。大半が市周辺への移住者で、野菜づくりに関心がある。8月に販売イベントを実現させた。並行して、桃の栽培やジャム作りの体験会も企画する。「仲間と一緒に、平尾の桃を全国へ届けたい」
長野県の2025年産の桃の収穫量は9560トンで、山梨、福島に次ぎ全国3位。県東部の佐久市は晴天率が高く日夜の温度差があるため栽培に向いているという。依田農園は夏に桃、秋はプルーンなどを収穫して個人向けに販売。9月12~13日は佐久市でプルーンの直売会もある。詳細は依田農園のインスタグラム(@yoda_sharefarm)へ。



