画家・井上文太さん、被災地の記憶を絵で後世に 熊本地震で「のこす」活動
画家・井上文太さん、被災地の記憶を絵で後世に

熊本や能登半島など地震で甚大な被害を受けた各地の被災地で、作品を通じた復興支援に力を注ぐ画家がいる。人の記憶にある街並み、郷土への愛着、誇り-。それらを後世に「遺(のこ)す」ため、ひたすら描き続けている。

熊本地震、ホテルで被災

千葉・館山にアトリエを構える井上文太さん。最大震度7を観測した7月28日の熊本地震発生時は熊本市内のホテルで、熊本城のスケッチをしていた。激しい揺れに見舞われた後、絵筆を置いて外に出た。ずっとサイレンが鳴りやまない。街は騒然としていた。

10年前の地震以来、たびたび現地入り。熊本城内に鎮座する加藤神社には初代城主、加藤清正公の大天井画を奉納した。今回は、熊本出身の第11代横綱不知火光右衛門(しらぬい・こうえもん)の浮世絵を地元顕彰会に寄贈するため、前日から熊本に宿泊していた。

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自身や周囲の人にけがはなかったが、熊本城を訪れ、再び崩れ落ちた石垣を前にしばらく言葉を失った。街を変容させるのは開発行為や過疎、そんな人の営みだけではない。自然は一瞬のうちに受け継がれてきたものを奪い去る。それから被災した市内各所を巡り、スケッチブックにペンを走らせた。崩れた箇所をそのままに描く。「史料」として後世に伝えるために。

変幻自在の画風、浮世絵からキャラクターまで

朝起きてから眠るまで、ほとんどの時間を創作に費やす。タッチは変幻自在。日本画、洋画、精緻に描写された写実的な作品もあれば、漫画のようなキャラクターも意のままだ。確固たる技量が、スタイルの拘束から作者を自由にする。

作風同様、その経歴も目まぐるしい。最初に世に出たのは入れ墨の彫り師として。海外の俳優に頼まれて彫ったのを機に注目され、親交の深いミュージシャン、HYDEさんにも施術した。その後、内装・空間のプロデュースを始めたかと思えば、ジーンズのデザインで国際的な賞を取った。脚本家の三谷幸喜さんが脚色したNHKの人形劇「新・三銃士」「シャーロックホームズ」では人形のキャラクターデザインを担った。

被災地支援に関わるのは、人の頭の中にある、かつてそこにあったものの記憶を、よみがえらせる手伝いがしたいから。絵はそのための武器。「みんなが絵を見て喜んでくれるのがうれしい」

師、金子國義さんとの邂逅

人との出会いは偶然ではなく、未来の自分が過去にさかのぼり、そう仕向けた結果ではないか-。井上さんの半生は、本人がそんな〝運命論〟で表現するような、奇妙な縁に彩られている。

海岸のすぐ近くにある千葉・館山の自宅とアトリエ。目が覚めればカンバスに向かう。個展用、地元紙で連載中の浮世絵、各地の寺社への奉納作品と、締め切りに追われる日々。量は苦にならない。描けば描くほど技量は伸びる。

スキルに裏打ちされた自由な作風を象徴するのが「ひらがなタイムズ」で連載した「世界の大使館」シリーズ。題材、デザイン、色使い、タッチ-。全体で各国の国柄を表現した一連の作品は、とても1人の画家の手によるものとは思えない。

大阪で生まれ、小学校から尼崎で育った。幼いころから絵はうまかったが、ずっと画家志望というわけではない。地元の進学校を卒業し、広告代理店の営業職に。かたわらで絵を描き、コンクールにも出品していた。

当時大阪で開かれていた画家、金子國義さんの展覧会に出かけたときのこと。絵本「不思議の国のアリス」や澁澤龍彦さんの小説の挿絵などを手がけ、退廃的な画風で名をはせた金子さん本人に会場のエレベーターで偶然出くわした。そこで「僕も絵を描いています」と声をかけた。

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「じゃあ、ちょっと画材屋に連れて行ってよ」金子さんにそう頼まれ紹介した後、「明日何か持ってきなよ」といわれた。「何か」とは自分の作品のこと。だが井上さんは「お土産」と取り違え、大阪名物のたこ焼きを持参した。金子さんはその勘違いを喜んだ。そんな縁で弟子にならないかと誘われ、即決。会社を辞め、東京・大森の金子さんの家で、住み込みの弟子になった。

超一流に囲まれて

師匠の交遊録は華麗だった。澁澤さんをはじめ写真家の細江英公さん、脚本家の唐十郎さん、デザイナーのコシノジュンコさん…。あらゆる分野の超一流が集まった。家具、道具もそうだ。金子さんから「ヴォーグに載っていたあの写真を持ってきて」と唐突に指示が飛ぶ。山積みの雑誌、蔵書のどこに何が掲載されているか、ひたすら頭にたたき込んだ。

「生まれたときからおしゃれなの」と話し、ポテトチップスも「俗」と遠ざけた金子さん。「あんたは、超一流を見て育つんだからね」と常々いわれた。弟子に徹すると決め、金子さんのもとにいた9年間、絵は描いていない。だが画家の命ともいえる目を、大きく開いてくれた時間だった。

井上さんの中で、描きたい思いが強くなった。金子さんに伝えると、けんかになった。「『まだ早い』と考えていたのだろう」。次の日には大森を離れた。絵は描きたいが、職業画家にはなりたくなかった。そのころ自分の中で腑(ふ)に落ちた仕事が入れ墨の彫り師。もともと入れ墨特有の図柄が好きで、独学で勉強していた。彫り師として名前が知られるようになったが、数年でやめた。しばらく、知り合いからデザインに関連する仕事を請け負い、食い扶持(ぶち)を稼いだ。発注してくれる人をたどると、「金子國義の弟子」として培った人間関係に、いつもどこかでつながっていた。

「先生のDNA」

絵画作品も発表するようになっていた40歳ごろ、テレビ番組に関わる知り合いから「NHKが教育テレビの企画でアーティストを探しているらしい」との噂を聞いた。三谷幸喜さん脚色の人形劇「新・三銃士」のキャラクターデザイン。人形劇の人形を考えるのはそれが初めてだったが、あまたのライバルを押しのけ、採用された。これが評判となり、三谷さんの人形劇第2弾となった「シャーロックホームズ」でもデザインを担当。誰もが知る原作を学園ミステリーに脚色した作品で、井上さんが創造した15歳のシャーロックはピノキオのように鼻が高く、独特の愛嬌(あいきょう)があった。

どのキャラも親しみやすそうで、どこかあやしげな雰囲気をまとう。そこに妖艶な画風で知られた金子さんの影響を見る人も。「別に似せようと思っているわけではないけど、金子先生のDNAなんですかね」と笑う。

今、画家として強く意識しているのは「遺(のこ)す」こと。井上さんの代表作である「海」や「泡」のシリーズは自然の継承がテーマになっている。再開発などで失われる各地の街並みを、描き残す取り組みにも力を入れる。たとえば、その地域に昔からある商店。そこに地元の人が寄せる思い…。「絵なら空気を描ける。地元の人の誇りとか祈り、そういうものも描けると思うから」

2人きりのシャーロック

金子さんには直接作品を見せたことがない。ある企画で、金子さんと対談したときのこと。「うれしいことをいってあげる」。金子さんはそう切り出し「あと10年頑張ったら、私と同じくらいになれる」とほめてくれた。井上さんはうれしさと同時に「師匠にはまだほめてほしくない」と思ったという。金子さんは平成27年に死去。通夜のとき、「2人きりにしてほしい」とお願いし、金子さんの棺(ひつぎ)の前でシャーロックの人形を作った。

これからも人の記憶をカンバスに遺していく。被災から立ち上がる人々が「自分の故郷、自然を見つめ直すきっかけになれば」。絵を通じてそれにかかわれることが、何よりうれしい。