1970年(昭和45年)に開催された大阪万博の米国館は、閉幕後に「1ドル売却計画」があったことが、大阪万博のレガシー調査を続ける橋爪紳也氏の連載で明らかにされた。この計画は、実際に実行されたかどうかは別として、当時の展示品やパビリオンの処分方法の一端を示すものだ。
大阪万博のレガシー調査と米国館の運命
橋爪氏は、大阪万博の一部のパビリオンが閉幕後に譲渡されて各地に移設されたこと、展示品が日本万国博記念協会に寄贈されたり、売却されたりした事例が少なからずあることを指摘する。米国館の「1ドル売却計画」は、こうした処分の一環として検討されたとみられる。
橋爪氏は1990年に、移築されたパビリオンや再利用された展示品を追跡調査し、その後の使われ方をまとめたリポートを『現代遺跡・現代風俗’91』(現代風俗研究会編)に発表した。その後、『EXPO’70 パビリオン(旧鉄鋼館)』の企画展プロデューサーである小谷洋介氏とともに、大阪万博のレガシーに関する検証を続けている。
万博の規模と撤去規定
大阪万博は、1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された。総入場者数は約6421万人で、閉幕前週の9月5日には約83万人と最多を記録した。2010年に中国・上海で開催された上海万博(7308万人余)に抜かれるまで、もっとも多くの入場者を受け入れた国際博覧会だった。
会場内には、企業出展や各国館など116のパビリオンが立ち並んだ。これらの展示館は原則として仮設建築物であり、「建築物および施設は、博覧会閉会後6カ月以内に撤去し、かつ敷地の原状復旧を行わなければならない」という規定に基づき、閉幕式後に順次取り壊されることになっていた。
意義の変容と次世代への継承
橋爪氏は、イベント会場で経験したにぎわいの記憶を地域に持ち帰り、次世代に伝えたいと考える人が多かったと述べる。しかし、時間の経過とともにその意義は変容するという。移築されたパビリオンや再利用された展示品の追跡調査は、そうした変容の実態を把握することを目的としている。
米国館の「1ドル売却計画」は、こうしたレガシー検証の一環として注目される事例であり、今後の調査でさらに詳細が明らかになる可能性がある。



