武田信玄の軍師として広く知られる山本勘助。しかし、その実像について国際日本文化研究センター准教授の呉座勇一氏は、従来のイメージとは異なる見解を示している。『甲陽軍鑑』には勘助が「軍師」であると明記された箇所はなく、実際には足軽大将クラスの武将だった可能性が高いという。
『甲陽軍鑑』が描く山本勘助の実像
「市河家文書」に含まれる武田晴信書状の発見により、山本勘助は架空の人物ではなく、実在した武田家の家臣であることが確認された。しかし、勘助が軍師的存在だったかどうかは別問題だ。『甲陽軍鑑』には、他国者でありながら信玄に才能を認められ「足軽大将」に登用されたと記されているが、「軍師」と書かれた箇所は一切ない。
同書には、信玄が勘助を呼び寄せて軍略や築城について尋ねたことや、合戦の際に妙策を進言して武田軍の危機を救った逸話が収められている。これらの点から、勘助を軍師的存在と評価する向きもある。しかし、『甲陽軍鑑』では勘助以外の家臣も信玄に意見を求められており、勘助が唯一の相談役だったわけではない。
武田晴信書状の山本菅助との関連性
武田氏研究者の笹本正治氏は、『甲陽軍鑑』に記された山本勘助像には多くの問題があると指摘する。少なくとも、書かれたままの人物が存在したと考えるのは難しく、脚色が加えられている可能性が高い。特に、武田晴信書状に登場する山本菅助と『甲陽軍鑑』の山本勘助を安易に同一視すべきではないと警鐘を鳴らす。
呉座氏もこの見解を支持し、山本菅助は信玄の側近とは言い難い立場だったと述べている。大河ドラマなどで描かれる天才軍師のイメージは、後世の創作によって理想化された可能性が高い。
本稿は、呉座勇一『軍師の日本史』(角川新書)の一部を再編集したものである。



