昭和20年8月15日正午、NHKのラジオから流れた「大東亜戦争終結ノ詔書」(玉音放送)により日本の戦争は終結した。この詔書を発表した昭和天皇は、その直後からたびたび「退位」が取り沙汰されることとなった。
本書は、日本がGHQにより占領されていた時期に焦点を当て、天皇の戦争責任をめぐる問題がいかに問われ、それが「退位論」という形でどのような論理によって国内外で展開されたのかを詳細に論じている。
占領期の退位論議の三つの時期
占領期に活発化した昭和天皇の退位論議は、主に三つの時期に分けられる。まずは敗戦直後から新しい日本国憲法の制定に至る1945~47年。この時期に天皇は「統治権の総攬者」から「象徴」へと変わる。
次いで極東国際軍事裁判(東京裁判)が結審となり、訴追を免れた天皇の戦争責任が問われることになった1948~49年。そして講和・独立が近づくとともに、明仁皇太子が成年(18歳)を迎え、戦争の歴史を清算しようとする動きが活発化した1950~52年である。
退位に反対した勢力と天皇の選択
GHQ最高司令官のマッカーサーもアメリカ政府も昭和天皇の退位には反対しており、講和成立までの最大の立役者で内閣総理大臣の吉田茂も同様であった。しかし「進歩的な」文化人やさらには皇族の中にも「天皇は退位すべきだ」という声が常に上がり続けていた。
昭和天皇自身も、こうした雰囲気の中で退位を考えたことが再三あったようだが、むしろ在位することで戦争や戦後復興の責任を取ることに決めたのではないかというのが著者の見立てである。それは1952年5月に行われた講和条約発効式典での「おことば」にも表れている。最終的に天皇は亡くなるまで留まり、それは62年にも及ぶ史上最長の在位となった。終戦記念日を機に一読をお勧めしたい。



