普天間返還合意30年、沖縄の本音と混迷の深層に迫る
普天間返還合意30年、沖縄の本音と混迷の深層

連載:記者サロン「沖縄の人たちの本音は?」と聞かれて 普天間返還合意から30年

2026年5月19日 6時00分

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に日米が合意してから、今年で30年を迎えた。しかし、抑止力強化が叫ばれ、沖縄の基地負担が続く中で、私たちはこの問題にどう向き合えばよいのか。国際政治学の専門家、沖縄の若い世代、そして元那覇総局長が一堂に会し、約1時間半にわたって多岐にわたる議論を展開した。

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30年に及ぶ混迷の原因とは

国際政治や日本外交史を専門とする沖縄国際大学の野添文彬教授は、混迷の根本原因について「返還条件が県内移設だったこと」と指摘する。1996年の合意当時、普天間飛行場の返還は、沖縄県内での代替施設の建設が前提とされた。この条件が、地元の強い反発を招き、返還が進まない要因となった。

同様の事例は、那覇軍港にも見られる。1974年に返還が合意された那覇軍港(那覇市)は、2026年現在もなお返還の見通しが立っていない。半世紀にわたって動かなかったこの事例は、県内移設という条件が返還を阻む典型的なケースと言える。

普天間飛行場の機能強化の歴史

普天間飛行場は、本土からの部隊移転や、沖縄県内の他の基地返還に伴う部隊移転によって、その機能が強化されてきた歴史を持つ。このため、単なる基地返還の問題ではなく、沖縄全体の基地負担の構造そのものが問われている。

中国との近さと基地の脆弱性

沖縄の地理的な位置は、中国に近く、米軍基地の脆弱性が指摘される要因ともなっている。辺野古の現状や、普天間飛行場の軍事的役割についても議論が及んだ。

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