「力こそ正義」なのか――暉峻淑子さんが問いかける
大国が「力」で世界の秩序を崩し、高市政権は「数」で日本の姿を急変させている。未来への知恵を、人々の「言わねばならないこと」から考えたい。98歳の経済学者、暉峻淑子さん(埼玉大名誉教授)が、練馬区長選の経験を基に、市民の力と幸福の本質を語る。
「唖然としている人、集まれ!」――練馬区長選の現場から
2月末、暉峻さんは「衆院選結果に唖然としている人集まれ!」というビラを作り、地元練馬区で集会を開いた。衆院選での自民圧勝に戸惑う約60人が集まり、「次の選挙までに高市内閣が何をするか分からない。国会前でデモもいいけれど、区長選もある」と語り合った。
4月の区長選では、複数の市民グループが1年半かけて話し合い、吉田健一さんを擁立。従来は政党主導だった候補者選びだが、今回は市民が集まって地方自治を学び、対話を重ねた。暉峻さんは吉田さんのキックオフ集会でスピーチし、「普通の人」を選ぶ意義を訴えた。吉田さんは妻を亡くし、3人の子育て、弁当作り、祖母の介護、幼稚園理事長として子どもたちに良い未来を残したいという強い思いを持つ。お金や権力ではなく信頼が一番の宝だと知っている。政治に染まっていない「普通の人」を選びましょう、と。
「高市推し」という「合成の誤謬」
相手候補には小池百合子都知事や片山さつき財務相、玉木雄一郎・国民民主党首ら大物が応援。「練馬区民をばかにするな」と思った。肩書が並ぶからといって区民が投票するわけではない。本当の民主的人権感覚を持つ人を選ぶのだ。寒い夜も強風の日も、プラカードを掲げて駅頭に立った。
吉田さんの勝利は、区立美術館建て替えなど上からの一方的な区政への不満と、国政への危機感が組み合わさった結果だろう。私たちは権力を前に唖然としているだけではない。
「合成の誤謬」とは経済学の用語で、個々には合理的な判断でも、多数が同じ判断をすると全体として非合理な結果になることだ。「高市推し」で衆院選で自民に投票したものの、「ここまで圧勝させるつもりはなかった」という声がある。最近の地方選での自民敗北は、政治の偏りに市民のバランス感覚が働いた証拠だ。改憲などへの突進を危惧する声が反映されている。
社会正義と自分の幸福は両立する
暉峻さんは1989年に『豊かさとは何か』を出版。日本の経済成長の中で、子どもは受験、大人は仕事に追われ、住宅は狭い。本当の豊かさとは何かを問いかけた。今や経済的な豊かさすら失われている。
「国家・社会が間違うこともある」。当時、円高で新聞は経済好調を煽り、それに乗ってずるずるいってしまった。ドイツ留学の経験から、日本は豊かさへの道を踏み間違えたと感じた。
経済学の原理は「最小コストで最大効果」。競争重視で人件費はコスト。本来経済だけの原理を教育や文化に持ち込んだのが日本の失敗だ。欧州では基礎学問や芸術家への支援が充実しているのに、日本はない。財界の「金もうけに役立つ人間教育」が社会を支配し、人間を「金もうけに役立つか」で評価している。経済の本来の目的は「人間を幸福にする」ことであり、それに適合した経済にするのが国の役割だ。
個人にできることとして選挙がある。憲法13条は幸福追求権を保障する。自分の幸福とは何か、そのために必要な政治を考え、誰かを選ぶ。「サナエちゃんが人気だから」や肩書で選ばない。
投票の意味、人権が保障されるとはどういうことか。日本人は「自分の幸せを求めるのは悪い」と思いがちだが、憲法13条は「個人の幸福追求権の最大の尊重」を謳う。社会正義と自分の幸福は両立する。
人間は「全体性」で生きている
人間は「全体性」を持つことで生きている。個人であると同時に社会人であり、自然環境の中で生きる自然人である。その全体性を失わせる過労死的な超過労働や不安定な非正規労働は、人間性を浸食し判断を狂わせる。
例えば忙しさから外食ばかり続けると、食材のインフレや栄養、農業自給率、添加物の安全性を意識しにくくなる。家族を喜ばせる献立を考え、皿洗いなどの家事労働も含めた生活の全体性を回復することが重要だ。
三角形が三辺のつながりで形を成すように、人間の全体性はバランスを保った相互性で成り立つ。これをバラバラにする成果主義や長時間労働、不健康な偏りを不当と意識し、全体性の回復に努めなければ、社会や国家に流され人間性を失うだろう。
自分の労働は社会に役立つか、自分の才能は生かされているか、弱さを支え合える友人がいるか、他者を思いやるゆとりはあるか、繊細な感受性は衰弱していないか――人間の全体性を保障するものが人権だという意識を失ってはならない。今、一人一人の「人権宣言」が問われている。



