NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で俳優・菅田将暉が好演する竹中半兵衛。彼が最期を迎えた地を訪れた古城探訪家の今泉慎一さんは、秀吉が三木城攻めのため築いた付城のすぐそばに半兵衛の陣があったが、その規模は驚くほど小さかったと語る。
秀吉の「最もツイていない時期」
戦国武将の中で最も「持っている」男、豊臣秀吉。一介の庶民から天下人に成り上がったその人生は、運と勘の良さに支えられた連続だった。しかし、1578年(天正6年)の別所長治の謀反を境に、状況は一転する。秀吉の成り上がりストーリーの中で、最もどん底の時期を迎えることになる。
尼子を見捨て「播磨大誤算」が始まる
第一の不運は、この謀反により西播磨の上月城を見殺しにせざるを得なかったこと。前年に攻略したばかりの同城は対毛利の最前線で、城を任せたのは尼子勝久と山中鹿之介だった。秀吉も彼らを信頼していたが、殿・信長から非情の命令が下る。上月城を捨て、別所長治の三木城に全軍を向けよ、と。やむなく撤退した結果、上月城は落城し、勝久と鹿之介は散った。
裏切り続出、降りかかる不運
さらに、荒木村重の離反など、裏切りが続出。秀吉は三木城を囲むが、補給線は脅かされ、状況は悪化の一途をたどった。そんな中、秀吉は初の茶会を開催し、規格外の付城を築くなどして士気を高めようとした。
ついに「最大の不運」に見舞われる
そして、最大の不運が訪れる。頭脳で秀吉を支え続けた竹中半兵衛が、三木城落城前に病に倒れた。半兵衛は36歳でこの世を去り、秀吉は最大のブレーンを失った。
誰も訪れない名軍師の隠れ陣
半兵衛が最期を迎えたのは、陣地か、それとも秀吉の下か。今泉さんが訪れた平井村中村間ノ山付城(竹中半兵衛陣所)は、現在は静かな山の中にあり、訪れる人も少ない。しかし、その小さな陣跡からは、冷静な軍師が最後まで秀吉を支えようとした「胸アツ行動」が感じられるという。
半兵衛の陣は、秀吉の本陣である平井山之上付城のすぐ近くに位置していた。その規模の小ささに、今泉さんは驚いた。しかし、この小さな陣から、半兵衛は戦況を分析し、秀吉に助言を与え続けた。彼の死は、秀吉にとって計り知れない損失だった。
最期を迎えたのは陣地か秀吉の下か
半兵衛の最期については諸説ある。陣中で病死したとも、秀吉の本陣で息を引き取ったとも言われる。いずれにせよ、彼は三木城攻めの最中に倒れ、城の落城を見届けることはできなかった。しかし、その戦略と忠誠心は、後世に語り継がれている。
今泉さんは、現地を訪れることで、半兵衛の冷静さと熱い思いを実感したという。名軍師の隠れ陣は、今も静かにその片鱗を伝えている。



