カジュアル美術館:谷文晁と田﨑草雲、栃木で南画の新たな魅力を発見
カジュアル美術館:谷文晁と田﨑草雲、栃木で南画の新たな魅力

古今東西を柔らかに融合した南画の世界

栃木県立美術館で開催中のコレクション展「新収蔵作品でつむぐ 栃木における近代南画」では、谷文晁(ぶんちょう)の《赤壁図》や田﨑草雲の《夏山過雨》など、南画の名品が展示されている。これらの作品は、中国の伝統に根ざしながらも、日本の自然観や独自の技法を取り入れた、まさに「古今東西」の融合を体現している。

正面奥にそびえる断崖は霧に霞み、手前に生える木だけが明確な輪郭を見せる。舟を浮かべた険谷の奥行きは計り知れないが、線はあくまでも柔らかく優しい。題材にとった中国・宋代の詩聖蘇軾(そしょく)の「赤壁賦」は、蘇軾が客人と酒を酌み交わした末に寝てしまうという内容。いかにも南画らしく、のどかな詩情をよく映し、日本的な自然観にも通じる。

谷文晁:多様な技法を習得した万能の絵師

谷文晁(1763~1840年)は江戸下谷根岸の生まれ。12歳のころ、狩野派の加藤文麗に師事する一方、渡辺玄対から南画を学んだ。それにとどまらず、大和絵では土佐派、琳派、円山派、四条派なども学び、さらに朝鮮画、西洋画も習得したという。

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絵師として認められ、1792年、老中松平定信付きの近習になると、江戸湾岸巡視に随行して《公余探勝図》(東京国立博物館蔵、重要文化財)を描いたのをはじめ、数々の図録の編さんに携わるなど、関東画壇を席巻した。

文晁の作風は南画を基本にさまざまな技法を取り入れた折衷画風といわれるが、「すべての絵の描き方をマスターしている人でした」と栃木県立美術館・志田康宏学芸員は語る。前期が線描を多用して緻密な作品が目立ち、後期は柔らかな筆致の作品が目立つという。

栃木の地に脈々と受け継がれた文晁の遺伝子

そんな文晁の遺伝子が近代まで栃木の地で引き継がれていたことが分かってきた。文晁は下谷に画塾「写山楼」を開き、優れた後進を輩出した。中でも渡辺崋山、立原杏所(きょうしょ)、椿椿山(ちんざん)と並んで四哲と呼ばれた高久靄厓(たかくあいがい)(1796~1843年)は、現在の那須塩原市の生まれ。27歳で文晁の弟子になった後も、42歳で江戸に移住するまで地元で絵を描き続けた。

また田﨑草雲(1815~98年)は江戸の足利藩邸で生まれ、文晁に師事した後、藩の絵師に登用された。尊王攘夷(じょうい)思想に共感し、幕末の動乱期には足利に戻って民兵組織を結成。郷土の治安維持に当たったが、明治維新以降は、地元で画業に専念した。90年には、橋本雅邦らと共に、最初の帝室技芸員に選ばれた。「新しい南画表現をいっぱい試したのが草雲でした」。そう志田さんが語る通り、《夏山過雨》は、北宋の文人画家に由来する、水墨の点描を重ねる米法山水で描きつつ、遠近表現を用いて視線を奥へと誘っている。

「栃木県では、靄厓や草雲に学んだ絵師も多くいました」と志田さん。20世紀に入っても、栃木は優れた南画を生む拠点だったことから、同美術館では2021年、「栃木における南画の潮流-文晁から魯牛まで」を開催した。今回のコレクション展示では「新収蔵作品でつむぐ 栃木における近代南画」として、その後に寄贈を受けた作品などを紹介している。

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明治以降の南画の変遷と革新

明治以降、日本の絵画規範は中国から西洋に転じた。新しい日本画の創造を目指す日本美術院などの新派に、南画の絵師らは伝統を維持する旧派として対抗した。しかし、独自の作風を追求した大山魯牛、キュービスムを採り入れた島多訥郎(とつろう)らの作品を見ると、伝統にしがみつく守りの姿勢は感じられない。時代に合わせた「新しい南画」を見据えた野心は、師の文晁譲りに違いない。

展示概要とアクセス情報

◆みる 栃木県立美術館はJR宇都宮駅西口バスターミナルからバスで「桜通り十文字」で下車、徒歩2分。コレクション展「Collection1 新収蔵作品でつむぐ 栃木における近代南画」で展示中。6月21日まで。開館時間は午前9時半~午後5時(入館は午後4時半まで)。月曜休館(6月15日は開館、同16日休み)。一般260円、大学・高校生120円。6月13、14、15日は無料。企画展「ハッチポッチ 藤枝リュウジの世界」が同時開催中。

文・三沢典丈