明治維新の立役者の一人である西郷隆盛(1828~77年)の生涯を紹介する西郷南洲顕彰館(鹿児島市)で、今春、新館長に吉満庄司氏(60)が就任した。吉満氏は鹿児島県立高校の校長を退職後、この任に就いた。西郷の生誕200年と没後150年を迎える2027年度を前に、郷土の偉人への熱い思いを語った。
歴史への興味は高校進学がきっかけ
吉満氏は鹿児島市の上町地区で生まれ育ち、鹿児島玉龍高校に進学した。同校は薩摩藩主・島津氏の菩提寺であり、学問所があった玉龍山福昌寺の跡地に位置する。この環境が鹿児島の歴史への関心を深めるきっかけとなった。当時の教師たちは教育者であると同時に研究者として論文を執筆しており、その姿に触発された吉満氏は、自身も授業を通じて地域の歴史を生徒と共に学びたいと考えるようになった。
教員生活と郷土史への取り組み
教員として、吉満氏は郷土の歴史が日本史や世界史の中でどのように位置づけられるかを考察する授業を実践した。例えば、初任地の指宿高校では、縄文時代と弥生時代の先後関係が不明だった時代に、開聞岳の噴火による地層の堆積状況から、下層に縄文遺跡、上層に弥生遺跡が発見され、時代関係が明らかになった事例を紹介した。授業の最後にはその地域の歴史を5分間伝える工夫も行い、学会で報告する機会も得た。
1999年から7年間は、県歴史・美術センター黎明館で学芸専門員として勤務。その頃から、鹿児島市の指定管理を受けて顕彰館を運営する西郷南洲顕彰会の専門委員を務め、機関誌への論文執筆や西郷の遺訓に関する学習会の企画などに携わった。また、明治維新150年に向けて県の知事部局で、薩摩藩が重要な役割を果たせた理由をまとめる作業にも従事した。
顕彰館の特徴と西郷の魅力
顕彰館は西郷の没後100年に、県民の寄付により開館した。館内には西郷の実物の書や着用していた衣服に加え、17場面に分けて生涯を紹介するジオラマがあり、来館者は西郷の生き方や人柄に触れることができる。
吉満氏は西郷の魅力について、幕末の薩摩藩は西郷抜きでは語れないと指摘する。西郷は奄美大島や沖永良部島に流されても、必要に応じて呼び戻された。藩主・島津斉彬に見いだされ、他藩への手紙を届ける役割を任され、口頭で重要な情報を伝える役目も果たした。これにより他藩との人脈と人望を築き、戊辰戦争で命を懸けた士族たちを見捨てられず西南戦争で薩軍を率いた点に、多くの人が共感すると語る。
今後の抱負
吉満氏は、現在は西南戦争をより客観的に見ることができると述べ、これまであまり研究されてこなかった、軍人だけでなく巻き込まれた一般の人々や、鹿児島の士族内でも地域によって異なる考え方などを丁寧に調査する必要性を強調。「人生の最後を西郷研究にささげ、地元に奉公したい」と決意を語った。
取材を終えて
記者は大学で日本近代史を専攻し、これまで西郷よりも大久保利通に偉大さを感じていたが、鹿児島に赴任し、県民の西郷への強い愛着に驚かされた。吉満氏は西郷の人気の理由として、幕末期の人脈の広さ、岩倉使節団派遣中の留守政府のかじ取り、軍人・思想家としての顔を挙げつつ、「西郷には様々な側面があり、評価が難しい」と冷静に語る。しかし、その多才さと芯の強さに、記者もすっかり魅了された。赴任中にさらに西郷を知りたいと感じた。
吉満庄司氏は琉球大学を卒業後、鹿児島大学大学院を修了。鹿児島県立高校の教諭として指宿高校、串良商業高校、徳之島高校、開陽高校で勤務し、今春に大口高校の校長を退職した。趣味は史跡巡りと近くのカフェでケーキやコーヒーを楽しむこと。家庭菜園では夏野菜を育てている。



