ニデック創業者・永守重信氏の軌跡 小学生の夢から不正会計の闇まで
ニデック創業者・永守重信氏の軌跡 夢から不正会計まで

小学生時代に芽生えた「社長」の夢

不正会計が発覚したモーター大手のニデック(旧日本電産)は、永守重信氏(81)が創業し、一代で世界的な企業に育て上げた。カリスマ経営者として知られ、独特の経営哲学と歯に衣着せぬ物言いで多くのファンを獲得していたが、不正発覚後は公の場から完全に身を引いた。第三者委員会から「最も責めを負うべき」と指摘された永守氏とは、いかなる人物だったのだろうか。

貧しい農家の末っ子から社長へ

永守氏は1944年、現在の京都府向日市で生まれた。貧しい農家の6人兄弟の末っ子として育ち、小学生時代に裕福な友人の家で初めて口にしたステーキやチーズケーキに強い衝撃を受けたという。その友人に「君のお父さんは何をしているの?」と尋ねると、「会社の社長」という答えが返ってきた。この体験がきっかけとなり、永守氏は将来の夢に「社長」と書き続けるようになった。

プレハブ小屋からの出発

小学校の理科の授業でモーター模型の組み立てを褒められたことが、技術への関心の始まりだった。高校は電気科に進み、学費負担の少ない職業訓練大学校(当時は東京都小平市)で学んだ。卒業後は恩師の推薦で音響機器メーカーに就職するが、当初から独立を計画していたという。

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第1次石油ショックのあった1973年、28歳で日本電産(現ニデック)を創業。後輩3人とともにプレハブ小屋からスタートを切った。「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」をモットーに、営業では「絶対にNOと言わない」姿勢を貫いた。しかし、実績も知名度もないベンチャー企業を相手にする国内企業はほとんどいなかった。

米国での飛び込み営業が転機

国内で道が閉ざされると、永守氏は米国での「飛び込み営業」に活路を見出した。この大胆な戦略が功を奏し、スリーエムやIBMといった国際的な大手企業との取引を次々と獲得していった。1980年代にはハードディスク用モーターの生産に注力し、パソコン市場の急成長に乗って会社を急拡大させた。

金融機関から「一本足打法」のリスクを指摘されると、「回るもの、動くもの」の総合メーカーを目指して企業買収を積極化。1990年代のバブル崩壊後、経営が傾いた企業からの買収話が相次ぎ、その件数は加速度的に増加していった。

カリスマ経営者としての絶頂と転落

2014年度には売上高1兆円を達成し、同年の経済誌「社長が選ぶベスト社長」では孫正義氏(ソフトバンクグループ)や豊田章男氏(トヨタ自動車)を抑えて第1位に輝いた。永守氏は「井戸掘り経営」など独自の経営哲学を提唱し、多くの著書を出版。株主総会では批判的な発言に対し「そんなこと思ってる人はね、うちの株買うたらあかん。売りなさい」と返す「永守節」でも広く知られた。

教育への貢献と市場での評価

2018年には京都学園大学(現京都先端科学大学)の理事長に就任し、100億円以上の私財を投じて人材教育に力を入れた。2021年末にはニデックの時価総額が8兆円を超え、東京証券取引所の上位10社に名を連ねるまでに成長した。

不正会計の発覚と退任

しかし、2025年に発覚した会計不正で状況は一変した。ニデックが設置した第三者委員会は、不正の原因を「強すぎる業績プレッシャー」と指摘し、その起点となった永守氏を「最も責めを負うべき」と断じた。永守氏は同年12月に代表取締役を退任し、非常勤の名誉会長となったが、第三者委の報告書公表直前の2026年2月末にその職も辞した。

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不正の内容や背景について、永守氏自身が公の場で説明することはなかった。退任時のメッセージでは「小さなプレハブ小屋からスタートし、50年間、ひたすら一生懸命、どのような困難からも逃げずにニデックを経営してきた」と述べている。

元社員の厳しい見方

一方で、ニデックの元社員はこう語る。「最後は一番先に逃げましたよね。あれだけ本もたくさん出して経営論を語ったんだから、何がおかしかったのか自分の言葉で説明するべきですよ」。カリスマ経営者として頂点を極めながら、不正会計という闇に直面した永守氏の軌跡は、現代の企業経営における重い課題を投げかけている。