お粂は目の前の紙をしばし睨んでから、力強く縦に一線を引いた。床に突っ伏すような格好で紙に目を付け、惣十郎たちが間近で見守っていることも忘れた様子で、息を詰めて素早く線を引いていく。直線は微塵も揺らぐことなく、曲線は美しい弧を描いている。
一心不乱に描き終えたお粂
一心不乱に描き終えると、お粂はゆるりと身を起こし、筆を置いた。憑きものが取れたように呆然としている。惣十郎は腰を上げ、お粂の描いた図面を手に取った。お静のもとから引き揚げてきたものと、寸分の狂いもなく同じ図であった。ひとつ顎を引き、崎岡に振り向いて、
「お粂が今、描いた様をお前も見たな」と、確かめた。が、崎岡は放心の態でお粂を見詰めているだけだ。
「おい、しかと見たな」もう一度問うと、かくかくとからくり人形のような奇妙な動きで頷いた。
惣十郎の告白
「お粂。お前の五年を奪った始末にゃ、俺は頭を下げることしかできねぇ。お前を捕らえた同心と俺のしてることが同じだってぇことも認めるよりねぇのだ。だが俺にゃ、お前の罪を晴らしてやろうなんぞという、驕った頭もねンだよ。ただ、まことのところを明らかにしてぇのだ。その心は正真のものだ。単なる自分の欲だとしてもな」
お粂は左手についた墨を乱暴に着物でこすってから、「ふん」と鼻を鳴らした。
「それであんたは救われるんだろうね。ずいぶん都合のいい話だねぇ」
牢へ戻るお粂
惣十郎が答えを継ぐより先に、お粂は牢屋同心に振り向き、
「さあ、もういいでしょうよ。牢に戻してくださいな」と、頼むというより命じるといったほうがいいような口振りで言った。牢屋同心があからさまに苦り切る。
「もうすぐにお前は解かれるからな。それまでの辛抱だ」声を掛けると、お粂より崎岡が泡を食って、
「おい、まだ御番所で話もしてねぇのに、勝手なことを言うな」と、目を怒らせた。
お粂はもう、こちらを見ようともしない。牢屋同心に命じられた下男が、お粂を半ば引きずるようにして穿鑿所から引き出すのに、黙って従っている。惣十郎はその、細く頼りない背中を目に焼き付けた。お粂の姿が見えなくなってから、崎岡に向いて、
「材は揃った。この足で志村様のところへ行くぜ」淡々と告げた。



