【私の東京物語】高田漣が語る三鷹台の少年時代と音楽の原体験
高田漣が語る三鷹台の少年時代と音楽の原体験

私の東京物語。連載第1回は、フォークシンガー高田渡の長男で、マルチ弦楽器奏者として活躍する高田漣さんが登場。幼少期を過ごした三鷹台エリアの思い出を語る。

三鷹台エリアで育った少年時代

私の生まれは母方の実家がある京都ですが、実際に育ったのは吉祥寺のある武蔵野市に隣接する、三鷹市の三鷹台エリアです。当時の三鷹台は井の頭の森の延長のような緑豊かな住宅地で、旧家の大邸宅群と三鷹台団地や牟礼団地が混在していました。

いわゆる団塊ジュニアのベビーブーマーである私が子供の頃は、遊び場を確保するのが困難なほど多くのちびっ子であふれていました。しかしながら、私の生活環境は他のちびっ子とは大きく異なっていました。

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父・高田渡の影響

父の高田渡は、私を伝説のライブハウス「ぐゎらん堂」や、父たちが入り浸っていた喫茶店「ボガ」など、自分のテリトリーへ連れ回しました。そこには音楽家や役者、芸術家ばかりが集まっており、自然と私の遊びも影響を受けざるを得ませんでした。

少年だった私は、煙草の煙が渦巻く暗がりのなかで見聞きしたものをエートス(習性)として身につけたのでしょう。

ライブごっこと打ち上げごっこ

そんな当時の私の遊びは「ライブごっこ」でした。近所の仲間を誘い、台所で即興演奏を披露するのですが、向かいの部屋には座布団に座った観客もいます。のみならず、終演後には台所にいた演者は隣の部屋に移動し、そこで用意されていたジュースで乾杯をします。これが世にいう「打ち上げごっこ」です。

微に入り細を穿つ一連の遊びは、私以外の子供たちにはちんぷんかんぷんであったに違いありません。思えば今の私の日常もあの頃と大差ありません。エートス(いい歳)してそんなことをとお叱りを受けつつ、どうもどうもとごあいさつがわりに。

プロフィール

高田漣(たかだ・れん) 1973年生まれ。フォークシンガー・高田渡の長男。17歳で初レコーディング、2002年にソロデビュー。細野晴臣らの演奏を支え、映画やドラマ音楽も手がけるマルチ弦楽器奏者。

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