運命の居酒屋で出会い、パラ五輪へ 坂下恵里選手、6年半前の出会いが人生を変えた
居酒屋で出会いパラ五輪へ 坂下恵里選手の運命の6年半 (28.02.2026)

居酒屋での偶然の出会いがパラ五輪への道を開く

「あの日の出会いがなければ、今の私は絶対にいません」。2026年3月6日に開幕するミラノ・コルティナ冬季パラリンピックで、スノーボード競技に日本女子として初めて出場する坂下恵里選手(33)は、そう断言する。6年半前、東京都葛飾区の小さな居酒屋で交わした偶然の出会いが、彼女の人生を大きく変え、パラリンピックという大舞台へと導いたのだ。

駅前の居酒屋で始まった運命的な交流

2019年、当時葛飾区の京成立石駅近くに住んでいた坂下選手は、駅前の居酒屋「東京屋台 多じ満」で、飲食店従業員の市川智里さん(31)と隣り合わせになった。どちらが先に話しかけたのかは記憶にないが、スノーボードの話題で意気投合したことは鮮明に覚えている。

坂下選手は23歳だった2015年、オートバイ事故で左膝下を切断し、義足を使用するようになった。しかし、事故前からの趣味だったスノーボードは再開していた。「冬になったら一緒に滑りに行こうよ」という市川さんの誘いに、坂下選手は二つ返事で応じ、二人の交流が始まった。

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ゲレンデでの成長と競技への目覚め

初めて一緒に向かった群馬県のゲレンデで、坂下選手は市川さんの滑りを見て「かっこいい」と心躍った。その感動が「私ももっと上手くなりたい」という強い動機となった。それまで年1、2回だったゲレンデ通いが、市川さんとともに月1、2回に増加。二人は互いの滑走姿を動画で撮り合い、技術向上に励んだ。

そのうちの一本の動画を日本障害者スキー連盟に送ると、坂下選手の才能が認められ、2020年に女子初の次世代指定選手に選出された。「もっともっとやりたくなった」という気持ちが高まり、週末はスノーボードに熱中する日々が続いた。

国際舞台での挑戦と支え続ける友情

2023年、ワールドカップ下部大会に出場した坂下選手は、国際大会デビュー戦で優勝を果たした。しかし、同時開催のワールドカップ本戦でトップ選手の滑りを目の当たりにし、「こんなにレベルが高いとは」と実力差を痛感。その思いを打ち明けた相手も、やはり市川さんだった。

競技に集中できる環境を求めて現在の所属企業である三菱オートリースに転職し、2024年秋には長野市に移住。アルコール摂取も控えるなど、生活を競技中心に切り替えた。それでも市川さんとの交流は続き、たまに居酒屋で杯を交わす時間を大切にしてきた。

パラ五輪を目指す決意と未来への展望

二人で過ごす時間には、パラリンピック出場が決まった時の喜びの涙も、上位選手との差が縮まらない悔しさの涙も流した。伸び悩んだ時期や、スノーボードが嫌になりかけた時も、市川さんは常に話を聞き、前向きな言葉をかけてくれた。「気を使わず、思っていることを何でも言える存在」と坂下選手は感謝の念を語る。

昨年末、欧州遠征から帰国した際にも二人は久しぶりに居酒屋を訪れた。日の丸を背負う選手となっても、たわいもない話ができる関係は変わらない。市川さんは「恵里さんは探究心がすごくて、どんどん上達している」と熱い眼差しを向け、「本番ではのびのび滑ってほしい」と願っている。

坂下選手は第一人者として女性パラスノーボード選手の競技環境整備にも意欲を見せ、パラリンピックでの目標は表彰台獲得だ。イタリアの地で「かっこいい」滑りを見せ、再び居酒屋で祝杯を挙げる日を夢見ている。

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