元MBSアナ豊崎由里絵、子育てと仕事の葛藤から「シェア実家」起業へ 国際女性デーに語る
元MBSアナ豊崎由里絵、子育て葛藤から「シェア実家」起業

元MBSアナウンサーの豊崎由里絵さん、子育てと仕事の葛藤から「シェア実家」起業へ

関西発のニュースとして注目を集めているのが、元毎日放送(MBS)アナウンサーの豊崎由里絵さん(37)の歩みです。国際女性デー(3月8日)に合わせ、豊崎さんは仕事と子育ての両立で見失った「私らしさ」について語り、その経験を次世代の応援につなげたい思いを明かしました。

アナウンサーとしてのスタートと結婚・出産

兵庫県出身の豊崎さんは、小学校の卒業文集に「アナウンサーになりたい」と記すほど、幼い頃からその夢を抱いていました。2013年に念願叶ってMBSにアナウンサーとして入社。テレビで見聞きしたことが自身の行動のきっかけになることが多かったことから、「私も誰かの行動のきっかけになれれば」と願い、仕事に打ち込みました。

入社5年目に社内結婚し、30歳で長男を出産。当時は「35歳くらいまで結婚せずに働きたい」と考え、「アナウンス部長を目指したい」と社内でのキャリアを重視していました。しかし、交際中だった夫が血液がんを患い、「彼女」の立場では病室に入れない場面があったことから、結婚時期が早まりました。

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長男出産後は体の回復が順調だったこともあり、「早く働きたい」という気持ちから、2か月強で職場復帰。当時としては珍しい早期復帰でしたが、そこから新たな葛藤が始まります。

「私らしく働くこと」の喪失と夫との対立

独身時代、豊崎さんは「仕事ができる女性とは男性のように働ける女性」だと信じていました。休日はゴルフや競馬を楽しみ、男性の話に付いていけるように努力。生理痛がつらくても鎮痛薬を飲み、男性と同じ土俵で戦おうとしました。「私らしく働くこと」は考えたことがなく、働く基準が男性にあったと振り返ります。

出産後も考え方がすぐに変わるわけではなく、復帰後は「前の私ならできたのに」とできないことばかり考えてしまう日々。自分の良さがわからなくなり、目指す像と現状が乖離していきました。

さらに、夫が同じ会社だったため、働き方を比較してしまうことも。ある日、保育園から発熱した長男のお迎えを求められ、夫に相談すると「今日は難しい」と言われ衝突。夫も息子も保育園も悪くないのに、対立関係になることに悩みました。「会社に居続けることで夫と戦ったり悩んだりするなら、辞めることも一つの選択肢」と感じるようになります。

会社への相談と退職の決断

豊崎さんは、事情があって早退させた子どもを空いている楽屋でシッターに預かってもらえないか会社に相談しました。しかし、組織としてのルールがあり、一人に特別な対応をすると全社員に適用せざるを得なくなるという回答でした。

「今振り返ると、当時は先輩たちが声を上げて産育休制度などを勝ち取ってくれた時代から、個人がそれぞれの働き方を模索できる時代への転換期だった」と豊崎さんは分析します。「もう少し『子どもがいても、これまで通り仕事をしたい』『どうやれば乗り越えられるか』という思いを会社に丁寧に説明すればよかった。後輩のために新しい道を作れたかもしれない」と語りつつも、当時はその覚悟と勇気がなかったと明かします。

復帰から半年後の2019年秋、豊崎さんはMBSを退社。フリーランスとして独立し、キャスターやコメンテーターとして活躍の場を広げました。2021年には次男を出産しています。

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「北欧式」子育てと保育士としての経験

長男が産まれる時、夫婦で子育てについて話し合いました。豊崎家では「お父さん、お母さん」という役割分担ではなく、北欧スタイルで「親1、親2」という考え方を採用。大黒柱も2本あり、育児・家事ができる人も2人いることで「家庭内のレジリエンス」、つまり何かあっても対応する力を強化できると考えました。

元々子ども好きだった豊崎さんは、会社勤めしながら保育士資格を取得。退職後は約1年間、大阪のこども園で保育士として働きました。「もう少し腰を据えてやりたかった」と語りますが、体調が回復した夫の東京転勤に伴い一区切りとしました。

「シェア実家」起業への道のり

夫の東京転勤後、豊崎さんは実家が近畿・中部地方で遠く、両親に簡単にフォローを頼めない状況に。「誰か一瞬でいいから子どもを見てほしい」と思うことが何度もあり、同じような思いをしている人がいるはずと感じました。これが地域で子育てを支える「シェア実家」起業のきっかけとなりました。

「子育てには必死でしたが、子どもが大きくなるにつれて、自分がもうちょっとだけ何かを抱えられるかもしれないという思いもありました」と豊崎さん。また、「何でも親のせいにするだけでは、子どもは幸せになれない」とも感じ、地域が受け皿となり、親以外の大人と話せる環境を作りたいと考えました。

2024年、世田谷区が行う小規模事業者支援プログラムのスタートアップコースに約半年間参加。先輩起業家の支えを受けながら案を磨き、途中からは一緒にやりたいと言ってくれた受講メンバーとチームになりました。最終的にプランはグランプリに選ばれ、仲間を得て発足に至りました。

地域とのつながりと今後の展望

事業開始時、近所に挨拶に行くと、「実は子ども食堂を運営していて」「保育士資格があるので手伝いますよ」と、ボランティアや保育士として支えてくれる人々が現れました。活動の拠点を作るだけで、地域とのつながりを大事にする素敵な方々と出会えたことに、設立して良かったと感じています。

現在は無料のコミュニティースペースとして運営しており、収支には課題が残るものの、地域に認知され、毎日利用されていることに手応えを感じています。

豊崎さんは起業を通じて「地域で子育てする環境を整えたい」という思いを形にしました。同じような思いや特技を持つ人が集まり、「シェア実家」でワークショップを開いてもらうこともあり、周囲を巻き込むことの大切さを実感しています。

今後の夢は二つ。一つは現在1か所だけの「シェア実家」を各地に広げ、地域で子育てする環境をさらに整えること。もう一つは、若い活動家を支えていくことです。

「私は20歳代の頃、自分の仕事のことばかり考えていました。今、女性政治家の割合を高めるための活動をしている20歳代の友人がいますが、女性の政治家比率が少ない課題は以前からありました。10年、20年前に解決していたら今の若い人に負わせることもなかったと思うのです」

豊崎さんは「私も行動を起こさなかった一人としての反省を込めて、今行動している人たちを応援していきたい」と語り、自身の経験を次世代への支援につなげる決意を新たにしています。