亀田誠治が語る家族の絆 音楽と共に歩んだ3世代の物語
亀田誠治が語る家族の絆 音楽と共に歩んだ3世代

家族3世代の物語

音楽プロデューサーの亀田誠治氏が、これまであまり語られてこなかった家族の思い出を綴る。自身を音楽好きに育てた母は、モーツァルトの子守歌を「誠治はいい子です〜」とオリジナルの歌詞で歌い、肯定的な子育てをしてくれたという。

大学卒業後もプロになれずにいた頃、両親は再びニューヨーク駐在に。父はカネボウの社員だった。実は母はがんで余命半年と診断されていたが、告知はしなかった。当時、亀田氏は江古田から大泉学園に移った実家で一人暮らし。母の薬を病院で受け取り、自身の名前が載り始めたCDや雑誌とともにニューヨークへ送り続けた。両親が喜んでくれたからだ。

母は余命をはるかに超え、4年の滞米生活を無事に終えて帰国。1992年、亀田氏はシンガーの妻と結婚。翌年長男が誕生し、初孫を見せた後、母は56歳で亡くなった。

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父との2世帯同居と別れ

その後、次男が生まれ、父とは2世帯で同居。父は2人の孫を愛情深く育て、2010年に他界した。今年2月公開の映画「ほどなく、お別れです」で音楽を担当した際、両親との別れを改めて思い返したという。

今、孫と共に

現在、亀田氏には孫が2人いる。自身と同じく乗り物が大好きで、妻があちこちの駅に連れて行っている。かつて両親にしてもらったことを、今自分たちがしているという感慨があると語る。

亀田誠治氏は音楽プロデューサーとして活躍し、日比谷音楽祭実行委員長も務める。

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