東京都世田谷区で開催中の展覧会が話題を呼んでいる。作家・宇野千代(1897-1996)の生涯を振り返る「没後30年 宇野千代展」が、世田谷区立世田谷文学館で開かれている。宇野は結婚を4度、離婚も4度経験した恋多き女性であり、その奔放な生き方は多くの作品に影響を与えた。自他共に認める「面食い」で、気に入った男性には小悪魔的な色気をふりまきながら近づいたという。彼女の自叙伝「生きて行く私」はミリオンセラーとなり、最晩年には「私何だか死なないような気がするんですよ」という名言を残した。
東郷青児との情事が傑作「色ざんげ」に
宇野千代は、テレビの長寿番組「徹子の部屋」に84歳で出演した際、作家の尾崎士郎や画家の東郷青児と出会ってすぐに一夜を共にしたことをあっけらかんと語り、司会の黒柳徹子を大笑いさせた。尾崎とは東京の出版社で一目ぼれし、当時は札幌に幼なじみの銀行員の夫がいたが、作家という同じ夢を持つ尾崎の投宿先へ向かったという。東郷青児との関係はさらに衝撃的だ。東郷は帝国海軍少将の娘と心中未遂事件を起こした直後、宇野はその体験を小説の参考にしようと、ほとんど面識のない東郷に電話。酒場に呼び出され、そのまま東郷の家へ行き、血痕が残る布団で一晩を過ごした。この経験が、宇野の傑作「色ざんげ」に昇華された。
血のつながらない子どもにも愛情を注いだ宇野千代
4人目の結婚相手は都新聞(現・東京新聞)の記者、北原武夫。39歳だった宇野は、取材に来た10歳年下の北原を「紅顔の美少年」と表現し、毎日のように都新聞を訪ねたという。恋愛体質だった宇野は別れもあっさりしており、「オス、メスの愛情ですから」「4、5年たつと別れてもいいなって気になる」と語っていた。それでいて「別れた後も仲良し。みんな『あんないい女はいない』とほめる。尾崎なんか『また結婚しよう』なんて言ってた」という。
宇野がこうした生き方をできたのは、作家として経済的に自立していたことに加え、子どもに恵まれなかったからかもしれない。何度か流産し、骨盤が小さく子どもができにくい体質だったという。しかし、高等女学校卒業後は代用教員として働き、ほめて育てる教え方で子どもに好かれた。母親の異なる弟や妹の面倒も見、血のつながらない東郷や北原の子どもにも愛情を注いだ。もし子どもがいれば「永遠の乙女」ではいられなかったかもしれないが、その愛情は異性や創作に向けられたのだろう。
「没後30年 宇野千代展」で知るその魅力
展覧会を担当する学芸員の川本瑞貴さんは、「千代は背が高くてスタイルもよく、若い頃から注目されるマドンナだった。一緒に仕事をした方からは『気配りができ、やさしくてかわいい人』と聞いた」と語る。また、「明治、大正、昭和と激動の時代に安定を求めず、自分の気持ちに素直になって常識の枠を飛び越えた。時に苦境に陥りながらも、それを苦とせず、常に前向きに人生を楽しんだ。将来不安が強い今だからこそ、若い人に千代の生き方を知ってほしい」と述べている。
展覧会は前期展「恋と創作の若き日々」が9月6日まで、後期展「わたしと生きて行く私」が9月26日から2027年3月28日まで開催。原則月曜休館。宇野千代の人生をモデルにしたNHK連続テレビ小説「ブラッサム」は2026年秋から放送予定で、さらなる注目を集めている。



